顔見知りのモブ×うちの 新生でウルダハに戻ってきたときの話
まだ口調がやわっこくなくてちょっと荒っぽい
「生きていたんだな」
その一言に、くああと開いた口が一瞬だけ止まり、その後緩やかな弧を描く。まるで変わっていない笑い方にどことなく安堵を覚えていたら、「それ今言うか」などと心底可笑しそうな笑い声が聞こえた。
「せめて最初に言えよ。二回三回やってから言うことじゃない」
「言う暇がなかったんだ」
「ハ。あんたが自分で無くしたんだろ、その暇を」
「そうだったか?」
「そうだよ。俺はただいつもの話をしただけ」
一本くれ、と浅黒い裸の腕が伸ばされた。言われるがままに煙草を渡し、咥えた先に火を点けてやると、しばらくして仄暗い宿屋の空気にもう一筋の紫煙が混じりだす。
「そしたらこれだ。不滅隊のお偉いさんが聞いて呆れる」
「なかなかストレスが溜まる仕事でね」
「溜めすぎじゃないか? 転職した方が良い」
そもそもあんたは軍人って柄じゃないだろ、と笑うと、彼は差し出した灰皿に慣れた手つきで灰を落とす。その腕は前に見たときよりも幾分肉付きが良い。職業柄重たいものを扱っていたから、元々ミッドランダーの中でも筋肉はある方だと思ってはいたが、姿を見なくなった間にまた変わったようだ。
彼は再び煙草を咥え、一呼吸入れるとついと視線を外す。
「ま、生きてたよ、それなりに」
「生きててよかった」
「おい大丈夫か?」
本心からの言葉だったのだが、間髪入れずに心配された。なんだそれはと言い返したら、濃緑の瞳が揶揄うように細められた。
「あんたそういうの言うタマじゃなかった。よほどストレス溜まってるんだな、可哀想に」
「知り合いの無事を喜んで哀れまれたのは初めてだが」
「誰だって同じ事言うぞ、今のあんたの顔見たら」
ストレスで表情筋壊れたんじゃないのか、と失礼なことを言いながら笑う彼に再び灰皿を差し出す。
「本心だ」
「……そうか」
彼はまた大きく息を吐いて紫煙を逃すと、ぽん、とつまんでいた煙草をそのままのせてきた。まだ半分以上残っている。
「もういいのか」
「いい。あんた吸え」
「そうか」
一日一本と決めていたのだが、今日ぐらいか良いかとすっかり短くなっていた自分の煙草を灰皿に押しつける。そして、静かに煙を立ち上らせていたそれを摘まんで口に運ぶ。彼の方はというと寝良い体勢を探しているらしく、もぞもぞと布団の中で寝返りを打っていた。
「寝るのか」
「寝る。慣れないことしたら疲れちまった」
「慣れない? 何度目だと」
「いや仕事の話」
ああそっちか。
妙な勘違いをしてしまったと勝手に一人で気恥ずかしくなっていたら、ようやく落ち着いたらしい彼が満足の溜息を吐きながら「あの人凄いな」と言った。
「あの人?」
「局長。ラウバーン局長。身体でかいし声に込められてる圧が違う」
「……お前まさか」
「また勘違いしてんなあんた。するかよ、サシで会ったの今日が初めてだぜ」
「……」
「その目やめろ。初めてじゃなくてもしない」
彼は、ああいう律儀なタイプは面倒だからな、と疑念の視線を振り払う。
「あんたみたいな人で充分」
「失礼だな」
「褒めてるのさ」
んん、と寝台の中の身体が伸びをした。
すっかり短くなった煙草を灰皿に押しつけると、自分もまたその隣に潜り込む。そして、灯りを消そうと枕元のキャンドルに手を伸ばしたら、「あ」とすぐ隣の身体から声が上がった。
「そのまま」
「そのまま?」
「消さなくて良いから」
「お前消さないと寝られんだろう」
「今はつけといた方が寝られる」
「……」
丸まった裸の背中を見、しばらく考える。
そしておもむろに、えいやっ、とキャンドル用のクリスタルに覆いを被せた。
「おい消すなって」
途端に振り向いてきた彼をがっしと捕まえ、ぎゅっと抱え込んだ。
「ちょっ——」
「あれは死んだぞ」
その一言で、抗議の言葉が途端に止まったのが解った。藻掻こうとしていた力もそのままに硬直した背中を、自分の大きな掌でさすってやる。
「お前がここを出てからしばらくしないうちにな。物盗りにやられたんだ、お前のせいじゃない」
「……あんた、知ってたの」
「他の隊員に比べて話が入って来やすいんだ。昔取った杵柄でな」
「……」
「何もできずすまなかった」
もっとも、なにかしようと思った頃には全てが終わっていた。話が入って来やすいと言いつつも、実際全てを知ったのは死体が上がってきてからで、腕の中の彼は既にウルダハを離れ海を渡ってしまっていたのだ。
恋に一途なのは良いことだが、まれにその一途さが凶器に為る人間がいる。そして、彼が捕まった相手はまさにそんな人間だった。良くも悪くも、閨事には開放的な彼の——彼らの文化を、相手は理解しなかった。箱入りで育った金持ちの息子にはそもそも理解できなかったのだろう。そして、自分が彼にとって単なる仕事相手だと思われていることも、まるで考えていなかった。
相手は彼を文字通り手元に置いた。有無を言わさず、日の光が差さない地下室に繋いでおいたのだと、調査で立ち入った屋敷で知った。
「……選択肢を間違えた」
すっかり抵抗しなくなった彼はそう零した。
「手酷く振った方がわかるだろうなって思ったんだ、あの時は」
「ああ」
「取引先が減るのはしょうがないが、勘違いした野郎に店までまとわりつかれるよりはマシだろ」
「ああ」
「……そうしたら、おかしなことになった。それだけだ、もう、それだけだって思うことにした」
そうか、と相づちを打ち、瞳と同じく濃緑の髪をワシワシと撫でる。ぐちゃぐちゃになるからやめろといつものように文句を言う彼はいつも通りの彼だったが、しかし顔を上げようとはしない。
「……消しておいて何だが——」
「あーいいよこのままで。そろそろ慣れようと思ってたところだしな。だって笑えるだろ、この歳で暗いのがダメなんですって」
練習台にさせろ、と彼は言い、今度は自分からひっついてくる。
「やっぱりルガディンはでかくて落ち着くな」
「どういう意味だそれは」
「そのまんま、布団にちょうどいいって意味だよ。謝るぐらいなら布団になれ」
無駄に触り心地のいい筋肉つけやがってという悪態が飛んできたあと、彼の身体から今度こそ力が抜けたのがわかった。
「やっぱりあんたみたいなやつが楽で良い」
「物凄く失礼だから他の奴には言うなよ」
わかってますよという返事が眠気に飲み込まれる。
宿屋の空気に寝息が二つ溶けだしたのは、それからすぐのことだった。