[2018/12/13]バレクラ

吐いちゃうクラウドちゃん / セフィクラ風味バレクラ未満 / 文庫ページメーカー

 ザーザーと水が流れる音がする。
 それに混じって、何かをこらえるような、しかし明らかに隠し切れていない嘔吐の声が、古ぼけた宿屋の部屋の空気を震わせてバレットの耳に届く。寝返りを打って隣の寝床を見てみれば空っぽだったから、ああそうか、と納得した。
 また何か見たのだろう。
 最近――と言ってもしばらく前からその兆候はあったが――クラウドは真夜中に起き出してトイレで吐いている。ここのところは宿屋に泊まれれば毎日だ。真夜中に寝床を抜け出し、胃の中を空っぽにして戻ってきて、そしてまた寝る。
 別に病気ではないらしいというのは本人から聞いたことだ。最初にそれに気が付いた日、どこか具合が悪いのかと思って慌てて話を聞いてみたら、体の調子は悪くないし腹も痛くないという答えが返ってきた。
 ただ続けて、クラウドは「見たんだ」と言った。
「何をだ」
「……かあさんの」
 かあさんのもえかす――と蚊の鳴くような声で。
 そしてまた青い顔でトイレに戻っていったクラウドの背中に、バレットは何の言葉もかけてやれなかった。村が燃え、見知った顔が炎に包まれて崩れていく様を目にした人間にかけてやれる言葉など、バレットはすぐ思いつかなかった。なまじ自分が同じ経験をしたことがあるせいかもしれない。ただ、クラウドが起き出しトイレに駆け込むのと同時にバレットも目を覚まして、水の音と苦しそうな声を聞いて、戻ってきたらまた寝る。その繰り返しだった。
 だが、今日は少しだけ違った。
(……? 遅ぇな)
 いつもならもうそろそろ帰ってくるはずなのに、扉が開く音がしない。ただえずく音もしないし、水の音もしない。
(何やってんだ)
 もしかして吐いた後力尽きて寝ているのだろうか。建物の中とは言え夜は冷えるから、風邪でも引かれたらかなり困る。ベッドを出るか出まいかしばらく悩んだバレットだったが、このままだと気になって眠れないということに思い当たり、ええいと寝床から飛び出した。
「クラウド? おい、大丈夫か」
 返事はなかったが、扉の隙間から細く漏れている明かりが、ちょうどバレットの膝あたりから陰っている。どうやら寄っかかっているらしい。
「そこで寝ると風邪引くぞ」
 しゃがんでおそらく頭があるだろうところに声をかけたが、やはり返事はない。遅かったか、とポリポリ頭をかくと、しゃがんだままドアノブに手を伸ばす。
 倒れてきても支えられるようにゆっくりと開けて中へ入ったところで、バレットの喉がひゅっと乾上がった。
「――クラウド!!」
 クラウドは寝てはいなかった。だが起きてもいなかった。その両目はどこを見ているのか、ただ力なく天井に向けられ彷徨っていた。わななくように震える吐瀉物で汚れた唇からは何の言葉も出ていない。ただ、まるで人形のように、壁とユニットバスへ体を預けていた。
「クラウド、おい、起きろ」
 バレットはクラウドの二の腕を掴みんで揺さぶる。荒っぽくなったが気にしている余裕はなかった。何度か揺すって額も触ってようやく、バレットの向こうを透かし見ていた視線が瞬きの後にバレットに焦点をを結ぶ。
「……ぁ」
「クラウド、大丈夫か」
「……」
「おい」
「……ねてた?」
 一瞬、何と答えたらよいか迷った。だが余計なことは言わずに「ああ」とだけ返事をすると、ホルダーから紙を巻き取り未だぼんやりしているクラウドの口を拭ってやる。
「腹ん中空になったか」
「たぶん……悪い」
「よし。口濯いだら寝るぞ。明日ちゃんと食え、な」
 うん、といやに素直に頷いて、クラウドはのろのろと腰を上げた。備え付けの洗面台に向かうその足音を聞きつつ、バレットは紙を便器に放り込んでレバーを引く。
 先ほど目にした翡翠色の瞳は――まるであの英雄のような瞳の色はきっと見間違いかなにかだったのだと言い聞かせながら、バレットはただ水の流れに飲み込まれていく紙を見ていた。

三度の飯が好き

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