[2018/08/26]ザックラ/バレクラ

夢を見るクラウドちゃん / ザックラ / バレクラ / 文庫ページメーカー ※R18表現あり

 影だ。
 何かの影が、自分に覆い被さっている。音も色もない世界、その影だけが視界の中で小さくなったり大きくなったり、不思議な動きをただリズミカルに繰り返していた。
(苦しい)
 息がうまくできない。空気は吸えている。ただ上手く吐き出せない。吐こうとすると、その影が近づいてきてじゃまをされる。
 空気に溺れそうだ。何かにしがみつこうとして手を伸ばしたら、その影にぐいと絡め取られた。影には手指があり、伸ばした手首をしっかりと掴んでいる。
 その手は、影自身の単調な動きからは想像もつかないほどなめらかに指を絡めてくると、ぐいと顔のすぐそばに押しつけてきた。
(——目)
 ぐんと近くなったその影には青い目があった。人の目だ。そこから霧が晴れていくように、眉や鼻、そして口がだんだんと現れ出てくる。
 影は男だった。逞しい男が、彼の上にいた。
 影の男の口が開く。
「クラウド」
 初めての音だった。くらうど、と彼は頭の中で繰り返す。繰り返すそばからもやがかかったように言葉がばらばらになっていき、どんな意味を持つ言葉だったのか思い出すことすらままならない。
「クラウド」
 影は繰り返す。まるで熱に浮かされたようなその口振りがなぜかとても嫌で、彼はただ首を振った。重力に任せて頭を転がしていると言った方が近い動きだったかもしれない。だが、影には伝わった。
「クラウド、イヤか? ごめんな、もうちょっとだから、ごめん」
 影の、男の動きが速くなった。いったいなにをしているのか、彼には考える力がない。ただ、ひたすらに嫌なことだったということは思い出した。声も、動きも、この息苦しさも、影の男が与えてくる何もかもが嫌だ。
(どうして)
 どうしてこんなに苦しいことをするのか、彼にはまるでわからなかった。こんなことをするようなものではなかったはずだ。わからない、だから怖くてしょうがない。泣き出したいくらい怖かったが、この身体は泣くことすらままならない。
「クラウド、クラウド、なか、っ中に出すから」
 また影が言った。なぜか影の方が泣き出しそうな声を出していた。
 絡められた手指が痛い。潰されてしまいそうなくらいに握りしめられ、ここで初めて涙が出た。
 影の男が吼えた。ぐっと近づいているせいか、顔はもう見えない。ただ、だんだんと男の姿がぼやけて消えていく。
(いやだ)
 一人になる。一人になってしまう。また一人で世界に放り出されてしまう。あれだけ嫌だと思っていた影の男に、彼は縋っていた。
(いくな)
 きつく握りしめられた手指が解けて消えていく。青い目も何もかもが、灰色の空間に溶けていく。
(いやだ)
 消えていく影の男にひどく重たい手をのばしたその瞬間、横から割り込んできた大きな手にぐいと握りしめられた。

***

 手を握ってやったただそれだけで、いくら名前を呼んでも起きなかった男は目を覚ましたらしい。ただ、現実にはまだ戻りきっていない様子で、忌々しいほどに青く澄んだ目を虚ろに彷徨わせている。
「おい、てめえ、大丈夫か」
「……っあ、ぇ、……」
「クラウド」
 掴んだ手をきつめに握りしめたら、ようやっと戻ってきたらしい。彼はかすれた声で「バレット」と名前を呼んだ。
「ひでえ魘され方してたぞ」
「……悪い」
「謝んなよ」
 隣でゴロゴロされちゃ寝るに寝られねえからな、と手を離す。先ほどまで哀れなほどに不安定で浅かった呼吸が落ち着くのを待ってから、バレットは自分のベッドに戻った。
「悪い夢でも見たのか」
 気まぐれにそんなことを聞いたら、「ああ」と思いの外素直な言葉が返ってきた。
「ソルジャーでも見るんだな。どんな夢だ」
「……覚えてない。ただ、やけに怖かった」
「そうか」
「からかわないんだな。いつもみたいに」
 隣のベッドで動く気配がする。目だけそちらにやると、魔晄色の瞳がバレットの方を向いていた。
「……からかったって、面白くねえからな」
「そうか。……意外と優しいな、あんた」
 うるせえ、という台詞はぎりぎり届かなかったらしい。それまでうっすらと開いていた瞳はとろんと瞼に覆われ、やがて規則正しい呼吸音が聞こえてくる。
「最後まで聞けよ」
 悪態を一つ吐いて、バレットもまた目を閉じる。
 ついさっきまで、誰か知らない男の名前をか細く呼んでいたその声を思い出さないようにしながら、意識を現実から締め出した。

三度の飯が好き

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