慈母とDG兵 / ロソクラ / 文庫ページメーカー
慈母が喋るところを見た者はいない。
「上」からつれてこられたと聞いているから、喋るつもりがそもそもないのか、それとも喋ることができないのかわからないが、ディープグラウンドソルジャー達の前に姿を現すときや、世話をしに部屋に行ったときなど、そのことごとくが黙ったままだ。世話係としてよく会う自分ですらそうなのだから、ほかの者はそもそも慈母が言葉を喋る生き物だと思っていない節がある。
「——それはそれでいいよな。知ってるぜ、上じゃこういうのミステリアスって言うんだろ」
そう茶化しながら語ったのは、時期同じくしてディープグラウンドソルジャーになった軽めの男だ。彼はあまり慈母のことを信用してはいなかったが、一度会ってその視線にとらわれただけで、その姿勢を百八十度変えた。地下にいる兵士達はほぼそうだ。皆、ヴァイスに対するそれとはまた違った憧憬や畏怖、尊敬——そして食欲を、慈母に対して抱いている。
「……喋らなくてもこれなんだから、喋ったらもっとすごいことになるんでしょうね」
慈母の湯浴みを手伝ってやりながらぽつりと漏らしたら、腕の中でおとなしくしていた慈母はその美しく染まった星色の瞳で見上げてきた。真正面からその視線を受けてぐらりと頭の芯が本能に軋むも、生唾を飲み込み衝動をやり過ごす。
「申し訳ありません、独り言です」
「……」
慈母の視線が逸れた。特に怒っても、機嫌を損ねてもいないらしい。ほっと胸をなで下ろしながら手際良く湯浴みをすませて、傷に障らないように体を拭く。最後にいつもの服を着せ、柵のついたベッドに寝かせた。布団をかけてやると、その両目がうとうととし始める。
だが、寝ても良いですよと声をかけたらゆっくりと首が振られた。
「ロッソですか?」
うん、とうなずきが返ってくる。朱の女を待つらしい。懐いているのか、それとも依存しているのかはわからない。ただ、傍にいてほしい相手として見ているのは明白だった。もしかしたら、ロッソなら慈母の声を聞いたことがあるかもしれない。そう考えると、反応が薄い彼でさえも、僅かな嫉妬が沸き上がる。
「もう少ししたら帰ってくると思いますよ。それまで自分が隣の部屋にいますから」
すると慈母は安心したように目を瞑る。やがて寝息が聞こえてきたので、彼は最後の後始末をして部屋を出た。