薬学院の昼

 暇である。
 からりと砂と太陽に乾いた風が吹き込み、勝手にページを捲ろうとしてくるのを止めながら、キーンは今日何回目かの溜め息を吐いた。
 昼日中の商売時、ウルダハの名物である喧噪は遙か遠くから細波のように聞こえるだけだ。商都にいればどこからでも聞こえるはずの名物が唯一遠のく場所といえば、墓場か薬学院のいずれかと相場が決まっている。そして、今キーンの側にいるのは死者ではなく呑気に口を開けて寝ている生者だった。
「…………」
 くかー、と聞こえてきた非常に間抜けな寝息に苛立ち、鼻でも摘まんでやろうかと眉を寄せる。だが起こしてしまったときの小言を考えて思いとどまった。再び手元の本に目を落とす。
 本があるとて暇な時間には変わりない。だがキーンも好き好んでこんな消毒液臭い場所にいるわけではなかった。
 またやらかしたのだ。この、目の前で呑気に寝ている奴が。
 今回も例に漏れず仕事で呼びつけられて出かけていき、戻ってきた時には腕一本吹っ飛んでいたらしい。今でこそこうして無事にくっついているが、なんとか治療師が捕まるまでこいつは自分で自分の腕の断面に治癒をかけ続けていたと聞いたから、相当大規模の作戦だったことは想像がつくのだが――
「――向いてねえとか言っといてなんだこのザマ」
 不利な作戦だと聞いた。きっと多くの死傷者が出るだろうとも。だが、生きて帰ってきた人間達は予想よりも多く、行方知れずとなった人間は予想よりもはるかに少なかった。詳細は組織が違うから教えてもらえなかったけれども、ある程度の把握はできる。状況とこの爆睡している男の様子からして、きっと自分のキャパシティギリギリまで背負ったに違いない。
 死にそうになるぐらいまでやったところで、こういった作戦で死者がなくなることはない。そこは割り切れているのに、必要以上に張り切る悪癖がある。ドライな思考は身につけているのに、頼まれたらまず一考して断らない、そしてやるからにはちゃんとするというマメさをこんなところで発揮しなくてもいいのに。
(そんなんだからオレが呼ばれんだ)
 言いようのない苛立ちがまた腹の底から滲み出てきて、キーンは本をいったん伏せて目頭を揉む。放っておくと唸り声すら出そうだった。
 そもそも呼ばれてホイホイ応える自分も自分だ。身よりがないとか言ってはいるが、キーンだって別に家族ではないし、単純に仕事や冒険でよくつるんでいる人間なだけだ。とりあえず連絡がつきやすいから真っ先に連絡が来るだけであって、様子を見に行く必要はないはずなのに、気がついたらこうして見慣れた一室の中で本を読んでいる。お前はそんなナリして実際お人好しだな、と義理の姉におちょくられたのが蘇って、ますます眉間に力がこもった。
「はーかったりいかったりい」
 嫌な思い出を振り払うように声を上げたら、バカ呑気に寝ている人間の眉が寄った。これで起きたらデコピンの一つでもしてやろうかとおもったが、結局起きなかったのでまた本を広げる。
「テメェのせいでどこまで読んだか忘れちまったじゃねえかよ」
 間の抜けた寝顔に文句をぶつけても何の返事もない。実に腹立たしいが安心してしまう自分には気付かないふり一択だ。
 ちゃんと起きたらゴリゴリに額を抉ってやろうと心に決めながら、キーンはうっすらと読んだ覚えのある文章をたどり始めた。

三度の飯が好き

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