デート

エタバン後 やることやってんのにデートでガッチガチになるキンちゃんが見たい

 ガチガチであった。
 ここに来るまでどう歩いてきたのか記憶にないし、なんならさっき頼んだはずの料理も記憶から消えている。多分やらかした時の軍法会議ですら、こんなに緊張なんてしたことはない。強ばった手をなんとか動かして手元のグラスを掴んで持ち上げたらなさけないぐらいに震えているし、危うく鼻にまで水を飲ませそうになった。
 なんとかぬるくなった水を飲み下し、カラカラになった喉を湿らせる。また震える手でグラスを置いたら、す、と音も無く忍び寄ってきた手が手の甲に触れた。
「ぉえ」
「なに、どしたの? そんな声出して。びっくりしちゃった?」
 そんなことを言うのは、キーンをこのいつもの店に連れ出してきた人間、かつ、キーンがこんなに緊張する要因を作った張本人でもあった。彼は――ヒラキは明らかに含みのある笑顔で、逃げようとするキーンの手を指で軽く撫ぜる。
「おッ、ま、何してんだ……」
「何って、スキンシップ。今日キンちゃん手繋いでくれなかったじゃん」
「つッ、いつも繋いでねえだろ!」
「そう?」
 だからやめろってと手を逃がす。手はそれ以上追ってこなかった。ただ名残惜しそうに指がたたんとテーブルの上を叩いただけだった。
 こっちを見て居るであろう目が直視できない。首元で光っているシルバーの首飾りを中心に視線を彷徨わせていると、不意に「キンちゃんさ」と名前を呼ばれて心臓が跳ねた。
「んだよ」
「緊張してる?」
「しッ……てねえし」
「ほんと? まあどっちでもいいけど、エール冷めちゃうよ」
「ふぁ」
 いつの間にかテーブルの上に出現していたジョッキが目に入って妙な声が出てしまった。いったいいつ運ばれてきていたのだろうか。慌てて取っ手を掴んで口をつけぐびぐびと流し込む。
 そして、ジョッキを下ろした瞬間、ぐんと近くに迫っていた緑の瞳に息が止まった。夏の森のような、深い泉の底をそのまま汲み出したかのような深い緑は、何か愉快な悪戯を思いついた子供のように弾んでいた。
「おひげついてるよ」
 動けないキーンに向かって伸ばされた指が、キーンの唇にむにっと触れた。そのまま優しく横に動かされる。きっと泡を拭い取ったのだろう、湿った指先がヒラキの薄く色づいた唇へと運ばれ、真っ赤な舌がぺろりと覗いた。
「んー」
 おいし、という一言が鼓膜を掠めていく。それをかき消さんばかりに耳元で聞こえる鼓動が煩わしくてしょうがない。
(こんな、デートなのに)
 これ以上のこともやっているはずなのに、ただの気軽なデートのはずなのにいつもこうだ。心臓はうるさいし、手は強張るし、大事なときに声は上擦る。この店だって何回も食いに来ている馴染みの店で、気を張るような高級店でもないし、なんなら昨日だって来たはずなのに毎回これ。ヒラキから誘ってもらえることも、自分から誘うときも、大抵何もかもがおぼつかなくなる。
(情けねえ)
「そう? でも俺さ、そういうキンちゃんも可愛くて好きだよ」
「は、えっ」
「大丈夫、出てないよ。顔見てればすぐ解るって」
 ぎゅ、と眉が寄るのが解った。そこまで筒抜けだっただろうか。
 ヒラキは手元のナプキンで指先を拭くと、キーンの顔を覗き込んできた。
「デートだって思うと、ちゃんとしないとって考えて緊張しちゃうんだよね」
「……それの何が悪いんだよ」
「悪いって言ってないよ。嬉しいなって思ってるの。真剣に考えてくれてんのが。ありがとね、いつも」
「明日槍でも降るんじゃねえのか」
「失礼しちゃうなあ」
 頬を膨らませたヒラキは自分のエールを飲むと、そのまままたあの小悪魔のような、これから何か不吉なことが怒るんじゃないかと思わせる笑みを口元に浮かべる。
「――ま、キンちゃんが緊張してるとこ面白いからね」
「はあ? テメェまさか今日」
「うん、久しぶりに慌ててるキンちゃんが見たくて」
「ざっけ」
「ほら次おかわり何頼むの? せっかくのデートなんだからちゃんと選んで」
「ヴ」
 突然不意打ちで出された単語に勢いが削がれる。完全に向こうのペースだ。でも、なんとも不思議なことに、それでもいいと思えてしまうのはこの狐のなせる技なのか、それとも惚れた弱みなのだろうか。
「……メニューよこせや」
「はい」
 厚紙を貼り付けた木の板を受け取る瞬間、また触れた指に「うぇ」と声が出てしまう。それを見逃す奴ではない。
「初心だねえ」
「っせえ」
 この日一番気合いのこもった悪態を吐き捨てると、キーンはまるで降参するかのように手を振って、控えたウェイターを呼びつけるのだった。

三度の飯が好き

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