店の中

帝国if どこかのお店の中で

 外で鳥が鳴いている。
 夕暮れ時だった。外では風が吹いている。強い強い風だ。きっと今日は嵐になるだろう。膝の上の猫とも狐ともつかないいびつな毛むくじゃらをぼんやりと撫でながら、目の前のカウンターにもう片方の肘をつく。
 店の中には誰もいなかった。客は自分一人だ。この天気だからそれも致し方ないことだろうが、座る人間のいない椅子が並んでいる光景は少しだけもの悲しかった。
 視線を目の前のカウンターに落とす。
 煤だらけの一枚板のカウンターには、空っぽの皿があった。食欲はないし、なによりここには自分しかいないから、ここに食材が乗ることはない。代わりに乗っているのは一枚の紙切れだった。どうやら何かのチケットらしいが、名前も時間もほとんど焦げていてわからない。ゴミにしか見えないし皿の上に置いてあるというのもおかしいが、不思議と退かす気は起きなかった。
 座り心地が良いとも言えない椅子に腰掛けたまま、どのくらいの時間が経ったのだろうか。ここに来てからというもの、外は始終夕暮れで、今が何時なのかもさっぱりわからない。時折鳥の声がけたたましくなっては静かになる、その繰り返しだ。
 だが、今日は少し様子が違っていた。今まで自分が開けなければピクリとも動かなかった扉が、ぎしりと軋みを上げたのだ。
「……なに?」
 同時に、膝の上で健やかに昼寝をしていた毛むくじゃらも頭と思しき箇所を上げた。警戒している様子はないから、この強い風で開いてしまったのだろうか。
 しかし、確かに何かがいる揺らぎがあった。開いた扉の向こう、赤と黒の景色がほんの少しだけ黒い紗を通したかのようにかすんでいる。目をこらしたら、それはおぼろげながらも人型を取っているのがわかった。
 その何かは立ち尽くしているようだった。こちらに意識が向いているのがなんとなくわかるが、目も何もないからどこを見ているのかまでは判別がつかない。敵意だけはないことがわかったので、声をかけてみることにした。
「えっと、お客さん?」
 もやが揺れた。そしてゆっくりと近づいてくる。そして、一つあけて隣の椅子の上にとどまった。どうやら腰を下ろしたらしい、と気付いたのはその一瞬後だった。
「ごめんね、なにも出せないんだ。俺以外だれもいないから」
 通じているかどうかはわからないが話しかけてみる。返事は無かった。音を出すものが備わっていないのかもしれない。
 一人と一匹と、そしてなにかわからないものの空間になってしまったなと思ったが、こういうのも悪くはない。どことなく寂しかった店がようやく本来の形になった気さえする。店員もいないのに不思議なものだ。
「あのさ――」
 だが、いつまでいるの、と言葉を発しかけた口ははたと止まった。先程までいた何かがいつの間にか消えていたからだ。
「……なんだ。帰るなら帰るって伝えてくれれば良いのに」
 元に戻っちゃったね、と膝の上の毛むくじゃらを撫でる。毛むくじゃらは欠伸のような音を立てると、また丸くなった。
「また来てくれるのかな」
 ぽそりと呟いた言葉は、再びゆっくりと鳴きだした鳥の声と荒れる風の音にかき消された。

三度の飯が好き

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