迦陵頻伽討滅戦後の分岐
スウィフトさんが起床に間に合わなかった場合
なおくっついていない
「なあ、知らねえか」
今日何度目かの言葉を目の前で漂うものに投げかける。だが、焔とも綿の塊ともとれる淡い色のそれは、その問いかけに答えてくれはしなかった。ただふるると震えて大きくなって、それきりだ。きっと言葉を発するような所が溶けてしまっているのだろう。
「邪魔したな」
通じているかどうかは解らないがそれだけ言って、また少し奥に見える光へ足を進める。青く煌めく硝子のような破片が積み重なった、足場と言えるかどうかも解らない道を歩く。
「そこのあんた、あんた知らねえか。最近ここらに来た奴。鳥みてえな」
だが、その灯火もまた答えることはなかった。先程のように震えることもせず、ただぼんやりとそこにいるだけ。
「……悪い」
短く断って、キーンは更に先へ行く。
彼が鳥を墜としたのは日付が合っていれば先週のことだ。 連絡が入ってすぐに向かった先で、かつて友人だった鳥を殺した。自分を呼ぶ声も次第に虚ろになる瞳も、刺し貫いた感覚も、何もかも記憶に残っている。
人ならざるものになってもその嫌みったらしい手強さは健在で、キーンも久し振りに入院というものをした。だが目を覚ましてすぐに飛び出し、オールド・シャーレアンの地下深く、星の胎内を覗く鏡に潜った。理由はたったひとつ、殺した友人に会うためだ。
星晶鏡はすなわち魂の行き着く場所に存在する機構である。実際キーンは、かつてここで幾多の逝った魂たちと出会っていた。だから彼の魂も流れ着いているかもしれないし、死んでからそう日も経っていないから、浅いところに留まっているかもしれない。
(だから、見つけて、会わねえと)
暗いところは苦手だったからきっと一人で震えているだろう。怖がりだから他の魂から逃げ回っていたら助けてやらないといけない。何より謝りたい。きっとあの時怖い思いをさせてしまったに違いないから、せめて一言謝って、もう怖いことはないからと伝えたかった。
自己満足なのは解っている。なんの意味もないかもしれないことも。だが、キーンはどうしてもそうしたかった。
しかし成果は芳しくない。そもそも意思疎通ができる魂は少なかったし、その中でも敵意を抱いていないものは更に少数だった。そういった魂を探すだけでも骨が折れるのに、友人の行方を知っているものは見つけ出せていない。もしかしたら物言わぬ魂になっていて、お互いに気付かずに終わってしまったかもしれないが、それはないと信じたい。
それでも淡い期待はむなしく裏切られ、今日も結果は同じだった。連日の疲労にまとわりつかれて重たくなった足を引きずり、キーンは上層へと戻ってくる。だが、潜り直す手間も惜しいと持ち込んだテントの前には、予想だにしない人間が立っていた。
「探したが」
「……」
「探したが?」
「……予想より早えな」
「聞きたいのはそんな言葉ではない」
仁王立ちという言葉をそのまま写し取ってきたかのように立っていたのは、不滅隊の上司だった。ミッドランダーで身長も低いはずなのに、全身から威圧を感じる。
「薬学院を無断で抜け出し休暇届も出さず何をしているかと思えば、オールド・シャーレアンの秘匿機構などに居座りおって……手続きを通すのにどれだけの手間がかかったと思っている」
「やることがあんだよ」
「こちらも貴殿に用があるのだ大闘士。まずは上に来てもらうぞ」
「ことわ」
「貴殿の友人のことだと言ってもか」
「………………」
チッ、と舌打ちが出た。渋々了承の意を返し、鼻息荒く帰るスウィフトの後ろについていく。「飛び出すのはいいがせめて話を聞いてからにしろ」だの、「まったく貴殿の頑丈さときたら」だの、「申請すれば休暇なぞきっちり出してやったというのに」だのという言葉は耳に入らない。
もしかして見つかったのだろうか。それとも見つからなかったという報告なのだろうか。どっちもいやだし、どっちでもいい。キーンの心はぐちゃぐちゃになりそうだった。
「——潜るなよ、そこで待機していろ。今連れてくる」
外に出た途端そう言い含められる。あいつのことだと言われて誰が潜るかよと吐き捨てると、スウィフトは「よし」と頷き、通路を走っていく。遠ざかる硬質な足音を聞きつつイライラしながら帰ってくるのを待っていたら、ふいに鼓膜に耳慣れない音が聞こえてきた。スウィフトの足音に混じっているのは、なにか丸いものが地面を転がる音だ。連れてくると言ったのはヒトではないのだろうか。
その疑問はすぐに解消した。
「薬学院の許可を無理矢理取ってきた。本人がどうしてもと言うのでな」
「……ぉ」
「貴殿が起きたら伝えるつもりだったんだが——」
「ァ、え、てめえ」
まさか、という掠れた声に、スウィフトが連れてきたそれの手が挙がる。吸い寄せられるように、二歩、三歩とキーンの足が動く。
「貴殿が身体を壊す前に間に合って良かった」
へなへなとキーンが頽れた先、スウィフトが押している車椅子に腰掛けて、ヘラヘラと曖昧な笑みを口元に浮かべているのは、
「ッひ、ぇ、ヒラキ、なんだよな」
「そうだ。貴殿が体内の宝珠を壊したおかげで、完全に変質する前に元に戻れた。目と喉はしばらくかかるだろうが治る見込みはある、安心したまえ。……と伝える予定だったんだが、貴殿の足が速すぎてな」
何故か自慢げなスウィフトのことはもう視界に入っていなかった。会えたら伝えたかった、言いたかった言葉がどんどを浮かんでは散らかっていく。それらを必死にかき集めながら、消毒液の香りがする手を取る。
「ァ、よか、よかっ……よかった、オレ、オレな、テメェに怖いことしちまって、……ごめんって、言いたくて、オレ」
きゅ、と取った手が握られる。普段の力に比べればまるでかすかなものだったが、それでもキーンは顔を上げた。包帯の奥、今は見えない瞳がこちらを向いているのがわかる。すこし乾いた、いつもいつも曖昧に笑う唇が、見慣れた弓なりを描く。
——ただいま、ごめんね、とその吐息は言っていた。
「ッ……オレ、オレも、ごめんな……ごめん、痛えことして、怖がらして、ごめんなさい……!!」
スウィフトの気配はいつの間にか消えていた。だが、いたところでキーンの嗚咽は止まらなかっただろう。
ブランケットの掛けられた膝に顔を埋め、頭をゆっくりと撫でられながら、キーンはまるで子供のように泣いた。