帝国if お見舞いに来たスウィフトさんとボルセルさん
スウィフトさんのやらかしとも言う
シェーダーは耳が良い。
今まで話として何度も聞いたことがあるし、そういった場面には遭遇していたからわかってはいたが、一緒に暮らしているとそれがより一層実感できる。
「あ」
何か作業をしていたエトワールが——今回は額に濡らした布巾を当ててくれていた——、不意に小さい声を漏らして視線を上げた時はいつもそうだ。そして次の一言で必ず言い当ててくる。
「誰か来たみたい」
今まで外れたことがないから、きっと今回もそうなのだろう。こちらの耳ではとらえられない音に気づき拾い上げるその聴覚にはいつも驚かされる。
ちょっと行ってくるね、苦しかったら気にしないで呼んでね、と優しく伝えてくる掌に軽く頷いて、軽やかに揺れる髪を見送ると、未だ熱い息を吐く。
慢性的な栄養失調と海の冷えが悪さをして、昨日から崩し気味の体調は未だに戻りきっていない。ここ数年、覚えているだけの生活を振り返るにとても健康的とはいえないものだったから当然ではあるのだが、二人に迷惑ばかりかける自分自身には苛立ちを感じざるを得ない。
はやく熱を下げて元気にならないと、また二人の手を煩わせてしまう。零れ出る咳をごまかしながらもぞもぞと寝良い体勢を探していたら、控えめなノックが聞こえてきた。
「具合悪いとこごめんな。起きてるか」
聞こえてきたのはエトワールの声ではなく、キンバリーのそれだった。朝の時とは打って変わって申し訳なさそうな色が低い声に滲んでいる。
「なに?」
「あのな、……その、お前に紹介したい奴がいる。しんどかったらいいんだ」
今までにない話だった。会わせたい人とは誰だろう。そもそもこの家に医者以外の客が来ること自体が珍しいし、こんな自分に会わせる必要のある人間なんて全く想像がつかない。
だが、キンバリーのことだからきっと何か考えがあるのだろう。世話になっている身でもあるし、断る理由もなかった。
「いいよ」
「悪い。すぐ終わらすから」
「うん、だいじょうぶ」
扉を開けて入ってきたのはいつもの優しい夜の香りだった。こちらをとらえた金色の目が一瞬穏やかな表情を浮かべるが、すぐに後ろに続く人影へと向けられる。
「ほら」
「どうも」
「すまない」
キンバリーに入り口を譲られ入ってきたのはフォレスターの男性と、顔に傷のあるミッドランダーの男性だった。どちらも見覚えはないから、きっとキンバリーの個人的な知り合いだろう。
「あー……えっと」
キンバリーは少し考えるようにしたが、すぐに二人の方を振り返った。
「このでけえのがボルセルで、ちっせえのがスウィフト。前に世話んなったんだ。オレが引っ越したって聞いてわざわざ来てくれた」
「具合が悪いところ本当に申し訳ない。是非会いたかったんだ」
真っ先に屈み込んできたのはボルセルの方だった。身体を起こせない自分のために、わざわざ膝をついて視線を合わせてくれる。纏う空気や表情は全体的に穏やかだ。話しやすそうではあるが、その分考えていることをすぐには読み取れない。柔らかい仮面のようなものが間にあるようだった。
「僕はボルセル。キンバリーくんには随分助けてもらっててね」
「心にもねえ事言ってんなぁ」
「失礼だなあ、ちゃんと心からの言葉なんだけど。君も優秀なキャスターなんだって聞いたよ。もしかしたら今後お世話になるかもしれないから、一度挨拶をしておきたかったんだ。……スウィフト君も緊張してないで何か言ったら?」
「緊張などしていないが? 貴様の口数が多くて辟易していたところだ」
スウィフトくんと呼ばれたミッドランダーは、ボルセルとは反対に硬質な印象の男性だった。どちらかというと、かつて自分たちが所属していた軍人達に近い印象があるが、着ている服は実に上等な仕立てのもので軍人達のそれとはほど遠い。きっと良い家柄の出なのだろう。
「スウィフトだ。おなじくキンバリー殿には大変世話になった」
「僕よりもね!」
「貴様が言えたことか?」
「うるせえうるせえ病人の前でケンカすんな追い出すぞ」
キンバリーの声にスウィフトが苦々しい顔を浮かべ、ボルセルは「ごめんね」とおどけた表情を浮かべる。三人の間には独特の気安さのようなものがあった。きっと冒険者として活動している間に知り合ったのだろう。
「……こんなかっこうで、すみません。俺、ヒラキって、いいます。キンちゃんのこと、これからもよろしくおねがいします」
咳をごまかしながらそう伝えると、ボルセルはもちろんだよと笑い、スウィフトも表情は硬いがそれでもしっかりと頷いてくれた。キンバリーに帝国軍と家族以外のつながりができているのはとても喜ばしいことだ。
だからこそ邪魔をしてはいけない。
「ね、キンちゃん」
「なんだ」
「みんなで、外、いっておいで。話したいこととか、たくさんあるでしょ? 俺、寝てるから、だいじょうぶだよ。エトワールちゃんも連れてってあげて」
「いやでも」
「そうしたいのは山々なんだけどね、ちょっと僕これからお仕事でさ」
だが、ボルセルが笑いながらキンバリーの声を遮った。
「どっかの誰かが僕にお仕事回してきたせいで、やらなきゃいけないことが山積みでね」
「元はといえば貴様が撒いた種だろうに……」
「ええー? 僕知らないけど」
「貴様いい加減に大牙佐としての自覚をだな——」
少し和らいでいたスウィフトの顔が硬直した。だが、それに言及している余裕はなかった。大牙佐、どこかできいたことがある、そうグリダニアの双蛇党だ。ボルセル、白樫のボルセル・ウロア、それならスウィフトは不滅隊のスウィフト・ライダーなのだろうか。不滅隊の大闘佐は商家の出身と聞いているから身なりから判断してもきっとそうだ、そうにちがいない。なんでここに、そもそもキンちゃんはどうして家に上げた、もしかして弱みを握られているのだろうか、弱み——
「——え、エトワールちゃん……?」
「おい」
どうした、というキンバリーの声はとても遠かった。
***
「ごめんなさい」
エトワールの名前を呟いた彼が次に口にしたのは、掠れきった謝罪の言葉だった。
「は、えっと、あの、おれ、俺がいくので、俺だけにして」
「おい」
何訳わかんねえこと言ってんだ、というキンバリーの言葉は届いていないようだった。起き上がるのも人の手を借りなければならなかったはずなのに、がくがくと震える手で身体を支え、まるでベッドから転がり落ちるようにして床に這いつくばると、蹲るようにして頭を下げる。
「二人のことはみのがしてください、おねがいします、ごめんなさい、なんでもしますから——」
咳とともに絞り出された声に、ようやく彼が何を考えているのか思い至った。連れて行かれると思ったのだ。落ち着かせようと小さく蹲る身体のそばに屈み込んで抱き寄せるが、身体をよじって抜け出そうとする。
「おい、落ち着け」
「君たちに危害を加えるつもりはないんだよ」
「そうだ、貴殿等のことには我々はもう干渉しない」
「うそ、うそ、うそ、そういった、みんなそう言ったんだ俺に、だからあんたたちもそうだ、キンちゃんたちだけはやめて、俺がいればいいから、俺が出て行けばいいんだから」
完全にこちらの言葉が聞こえていない。熱が上がっているのか息も荒い。
キンバリーの手から逃れようと身をよじり、暴れているのを傷つけないよう抑えて宥めていると、突然部屋の扉が盛大な音を立てて開いた。
「ちょっとあんたたちなにやってんのよ!!」
飛び込んできたのはエトワールだった。ものすごい剣幕だ。同盟軍の将校だと聞いた瞬間から微妙な顔をしていたが、今やその表情は怒りの権化といっても過言ではない。
「怯えちゃうから内緒にしてって言ったよね、なんかあったらさっさと出てくって言ったよね!? 何してんの!? 体調悪いんだよ!?」
「す、すまないこれは私が」
「黙って!! 外に!! 出て!! ほら立って!! こっち!!」
大の大人二人をぐいぐい引っ張って部屋の外に放り出すと、エトワールはキッとこちらを向く。
「兄さんはそこにいて!! 落ち着かせて!!」
「お、おお」
「いたっ、痛い、もうちょっとやさしく」
「優しくなんかしません!!」
嵐が遠ざかっていく。出てけという声と共に聞こえてくるのは塩を投げる音だろうか。そこまでやるほどかとも思ったが、腕の中の身体のことを考えるとそれも当然かもしれない。
「おい」
「う、ぅ、やだ、やだ、キンちゃん、捕まっちゃう」
「捕まらねぇよ。エトワールも、テメェも」
「俺がいかないと」
「行かなくていいんだ」
「なんで、なんで、キンちゃんのためなのに」
「オレのためにここに居ろっつってんだよ。いいな」
強い口調で言い聞かせると、ようやくこちらを突っぱねる動きが止まった。納得したというよりは体力がなくなった、といった方が近いかもしれない。だがキンバリーはそのすきにそのまま抱え上げて、寝床の中に戻してしまう。
「さっきあいつらも言ってたろ、もういいんだ」
「うそ」
「オレがテメェに嘘吐いたことあったか?」
「……さっき」
「あれは怖がらせたくなかったんだ。……でも嘘か、そうだな、ごめん。もうしない」
汗で貼りついた前髪を梳いて整えてやる。布団越しにゆっくり叩いてやると、だんだん眠くなってきたのかとろとろと瞼が落ち始める。
「キンちゃん、キンちゃん」
「ここにいる」
「ねたくない……」
「ずっといるから」
「……」
返事がなくなり、呼吸が深くなる。体力と眠気に負けたようだ。それを見計らっていたのか、エトワールが部屋の扉から顔を出した。
「帰した」
「悪いな」
「ううん。こればっかりは油断したわたしも悪いから」
次は顔見た瞬間塩ぶっかけてあげるわと鼻息荒く言い放つと、彼女は「ご飯作ってくる」と顔を引っ込める。手伝うことねえかと声をかけたら、右手だけがひらひらと答えた。
「だいじょぶ。兄さんはそこにいて。出てきたら容赦しないからね」
「お、おお」
じゃ、という声と共にぱたぱたと足音が遠ざかる。しばらくして食事の支度をする音が聞こえてきた。
リズミカルな包丁の音を聞きながら、未だ熱を持つ額に手を添える。
今後ここで暮らしていくにあたって顔を見ていた方がいいだろうと思ってのことだったが、時期が早すぎた。消耗しているところにひどく傷つけてしまった。
「……ごめんな」
小さく呟いた言葉は届いているだろうか。
汗ばむ額に唇を寄せると、エトワールの声がかかるまで、キンバリーは寝台の側に寄り添い続けた。