帝国if 同盟軍の若いのがつけてきた
冬の寒い日、互いの体温を分け合うようにぴったりとくっつく二人の姿は、それはそれは仲睦まじい恋人同士に見えた。背の高いエレゼンの男性は、傍らを歩くミッドランダーの男性の肩を抱いて、歩調を合わせて歩いている。そして一方のミッドランダーの男性は、まるでこの道を歩くことそのものがこの夜の喜びであるかのように、時折エレゼンの男性に笑顔を向けながら一生懸命話していた。
傍目から見れば、休日の買い物を楽しむ二人だ。すれ違う人々もただの街の風景の一つとして特に目も留めずにいる。
だが、自分だけは彼らの中身を知っている。
『——どう?』
「は、つつがなく」
耳元から聞こえてきた声に、できるだけ声量を抑えながら答える。
「特に目につくような動きはありません」
『なるほど。もう少し頼んだよ。何せ緑の隻眼と白い狼だ。できるだけ活動範囲を抑えておきたい』
承知しました、と一言告げて、寒空に凍えるふりをしながら口元を隠す。
緑の隻眼。帝国の一角を守護していた大隊長。帝国の実験により様々な蛮神のエーテルを浴び、扱える疑似蛮神の数は召喚士の育成が本格的に始まったウルダハをしても異質と言わしめた異端の帝国兵。最後の戦闘記録は帝国が瓦解するその間際、侵入してきた同盟軍の軍勢を未知の蛮神をもって殲滅した。『空が墜ちてきた』という報告を最後に通信が途絶したため、どのような蛮神であったのかは、巴術士ギルドやウルダハの召喚士部隊の知識をもってしても時間がかかるだろう。
そして白い狼。実力主義の帝国軍をして異例の若さで昇進し少佐にまで食い込んだ情報将校。職務上秘匿された情報が多いものの、彼が出てきた戦闘はことごとくが同盟軍側の劣勢、もしくは壊滅に追いやられている。それは帝国の瓦解が目前に迫った状況でも変わることはなく、彼は常に一定の成果を挙げていた。情報将校という立場であるにも関わらず、ガレマルドの雪に紛れて同盟軍の部隊を刈り取っていくその様子は、黒影の民である彼が白を冠する所以だった。更には賢術すらも操っていたという報告もあり、こちらも何が内包されているのか計り知れない。
その二人が、冬のリムサを、まるで無害な一般人のように歩いている。
「——あっあれ、あれ買っていこうよ」
「あ? なんだ? これか?」
「エトワールちゃんが好きって言ってた。身体が温ま」
「買うぞ」
「最後まで聞いてよ」
「買うが?」
「わかった、わかったから、ちゃんと意思疎通しよ、ぶつけないで」
「……テメェは何か欲しいのねえのか」
「うーん……思いつかないからまた今度ね」
「まーたそうやってよぉ。そういや今日のメシは?」
「寒いからシチューでも作ろうかって話してたんだけど、具材何がいい?」
「魚食いてえ」
「じゃああの店寄って買ってこう。お魚美味しかったから」
聞こえてくるのは他愛のないことばかりだ。ごくごく普通の、同居している兄弟か夫婦のようなそれ。武装もなく、裏通りに入るでもなく、ただ一般人がするような買い物をしているだけ。
だが、あの緑の隻眼を狼が引き取った、そしてリムサ・ロミンサで暮らしている、という情報を数ヶ月遅れで得た黒渦団上層部は状況を重く見ていた。話を聞いた後なら自分も同感だ。
全てが偽装の可能性がある以上、二人の行動範囲を可能な限りはっきりさせておくこと。そして、不穏な兆候があれば逐一報告すること。課せられた任務はこの二つだった。
(きっと何かある)
何せ幾人もの同盟軍を屠った二人である。どちらも属州出身とは言え、同盟軍やエオルゼアの民にはよからぬ思いを抱いているに違いない。そんな人間がこの平和な街を歩いているのはただただ脅威以外の何物でもない。尾行というまどろっこしいことはせず、即座に捕縛して尋問すればよいものを、何を日和っているのだろうとすら思うが、融和と歩み寄りという方針を掲げている以上は難しいのかもしれない。
「——っと」
突然、前の二人が大通りから逸れた。慌ててその後を追いかける。
路地裏へと曲がる前に一息ついて、そっと覗き込む。暗がりでよく見えないが、奥に人影がある。背の高い影と、そして背の低い影だ。突然動きを見せた対象に逸る鼓動を抑えながら、路地に置いてある木箱に身を隠しつつ奥へと進み、——
***
——制圧は一瞬だった。
足音や呼吸からして何らかの経験者ではないかと推測していたのだが、他愛ないの一言に尽きた。ただそれは、相手がまだ年若い人間であったこと、そして壁に陣を描き小さく詠唱を続けていた彼のおかげでもあるだろう。魔導書がないならないなりの戦い方がある、と雪に鎖された街の酒場で言っていたことをふと思い出した。
「で、テメェはなんだ。ずっと尾けてきやがって」
ひねり上げた腕を更にきつめに絞ると、久々に敵意の籠もった視線が向けられた。懐かしいができればあまり見たくはなかった視線を受け止めつつも、隣の緑に視線を送る。
「ちょっと失礼」
だが、彼はすでに動いていた。すっと前に出ると手早く若者の身体を検める。頁を繰る時と同じくらい滑らかに動く指は、あっという間に若者が持っていたものをひょいひょいと外気に晒していく。
「うーん律儀だね、変装して暗器もあるのに財布も鍵も持ってる。そういうマメなお兄さんは大好きだよ」
白い石の床にぺちぺちと放り出されたのは、彼の言ったとおり鍵や革の財布だった。最後に硬い音がしたのは短剣だが、それは改めて手の届かないところへと蹴り飛ばされる。まず摘まみ上げられたのは鍵だった。
「この鍵アレかな、ミストの認証鍵かな。中の式がそれっぽい」
「テメェ鍵の中身見てんのか」
「そりゃ防犯面はちゃんとしないと。……それでこっちはお財布? 気が引けるけどちょっと見るね」
さらっと信じがたいことを言った彼は鍵を近くの木箱の上に置くと、今度は財布を拾い上げる。そして言葉とは裏腹に何のためらいもなく財布を開け、ふんふんと中身を覗き込み——そして手を止めた。
「……」
「おい、どうした」
纏う空気が若干変わったことに気がつき、抑え込んだまま声をかける。
「……キンちゃん、これ、あったんだけど」
返事が硬い。一体何を見つけたのかと眉を寄せ、彼の指が摘まんでいるものに視線を遣って、その理由を察した瞬間、キンバリーは立たせていた男の膝の裏を蹴って床に組み伏せていた。
「テメェ同盟軍か」
摘ままれていたのは同盟軍の身分証だった。身分は低いがれっきとした構成員だ。わざわざ偽造して自分たちを尾行する理由もわからないから、きっとこれは本物だろう。
「黒渦団が今更オレたちに何の用だ」
「……」
「答えろ」
ぐう、と呻き声が聞こえたが、こちらの求める情報は言わないつもりのようだ。なるほど実力を伴わないが信念だけはある、若者らしい若者である。だが、若いからと言って、こちらの平和を脅かそうとしている何かの先触れであったなら見逃すわけにもいかない。何が何でも守らなければならないからだ。
「……ねえ」
どうやって吐かせようかと思案していたところに、黙っていたヒラキが口を開いた。
「俺は君たちになにかしたかな」
「は……?」
「俺を捕まえた人達はさ、俺とやり合ってたし、俺に仲間を殺されたって言った。だから、俺をぐちゃぐちゃにするのも、まあいいかなあ、しょうがないかなって思ってたんだよ」
彼が目の前にしゃがみこんだ。
口から零れ出る声には何の感情も滲んでいない。いや、むしろ滲ませないようにしているのだと、キンバリーはすぐに解った。
「でも、君は、俺が前線で、あの森で、ひたすら生きるために殺し合いしてる間、きっと親御さんのご飯を食べて、友達と遊んでたんだよね。——ここ出身なんでしょう、君? じゃあ前線も知らないね」
垂れた前髪の間から見える瞳はいつもの緑ではない。深く昏い、あの日見た沼のようなそれだった。
「どうして? 俺何もしてないよね、君に何もしてないよね? なんでひどいことするの? どうしてこういうことするんだ?」
「おい」
「どうしてあんたは平気なんだ? あんたのせいでこれからあんたも同じ事をされるかもしれないのに、あんたのせいで人が死ぬかもしれないのに、あんたの」
「おい!」
は、という呼吸で言葉が止まった。どろどろと濁りきった色をしていた片目がキンバリーの方を向き、やがて伏せられる。
「……ごめん、ありがと」
「いやいい。……おかげで一つ解った。その耳飾り、リンクパール入ってんな」
先程からうっすらと、ここにいる人間とはまた別のかすかな呼吸音が聞こえていたのだが、ここにきてようやくはっきり解った。
「上司が聞いてんなら丁度良い。——いいか、テメェらの上に、話着けに行ってやるから首洗って待ってろって伝えとけ」
若者の目が歪む。納得のいっていない様子ではあったが、耳飾りから聞こえてくる声から撤退を指示され、渋々「わかった」と絞り出す。身体から力が抜けたのを確認すると、キンバリーも手を離して立ち上がった。
「それでいい。……もし命令無視してついてきたら、そん時はしょうがねえ、じっくり話しようぜ、なあ」
転がったままの短剣を拾い上げ、未だ這いつくばったままの若者の目の前でその刃を折り曲げる。使い物にならなくなった短剣を遠くへ放り捨てたら、もうここには用はない。ただ立って若者を見下ろしていたヒラキの手を取り雑踏へ連れ出した。
ついてきている気配はない。それなりに従順だったようだ。
「魚買って帰るぞ。大丈夫だ、オレがなんとかする」
震える身体を抱き寄せ耳元に囁く。かすかな「ごめん」という言葉が、白い吐息に紛れて消えていった。
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