※暁月のフィナーレネタバレあり!※
帝国if 最後の作戦の話
こーはくさんのツイートにのっかった部分がありますいつもありがとうおいしい
足を持ち上げ、前に出し、そして体重をかけて踏み出す。倒れる前にもう片方を、同じように持ち上げ、前に出す。
音の消えた森の中で、ひたすらにそれを繰り返す。普段はまるで気にしていなかった動作がこんなにも辛く、重たく、そして億劫だ。何もかも根こそぎ使い切るなんて経験は前線ですらしたことがなかったから、なるほどこういうことになるのかという新鮮な驚きと共に、はやくいかないと、という焦りが胸の中を占めていく。
ぐに、と何かを踏んだ。雪の大地にはほぼ存在し得ないその感触を、しかし無視して先へ進む。見なくてもわかりきっているからだ。なにせ周りに散々散らかっている。
——大地に染み込ませた血と鉄とエーテル、そして自分の魔力と、撤収の際にラボからくすねてきた自分の右目を使い喚び降ろした奈落の淵の竜達は、想像以上の働きをしてくれた。この身に仕込んだ不死鳥も一緒になって、事前にもたらされた情報の通り帝国の背後を抑えるために向かってきた同盟軍を根こそぎ食い散らかしていったのだ。これで部下達や住民が乗った列車が逃げ延びる時間を、ある程度は稼げたはずだ。まさか遙か昔に受けた照射実験で得られたものがここにきて役に立ってくれるとは、少し前まで想像もしなかった。人間長生きはするものである。
まあ、言うほど長くは生きていないし、ここで終わりかもしれないが、属州出身の軍人の割には生き延びた方だろう。
(終わりにはしたくないけど)
転がっていた腕を蹴り、脳か何かの欠片を踏み潰しながら、赤と白とほか多種多様な色で斑になった森を歩く。無理な陽動で開いた傷口は相変わらず痛いし、感触からして止血もできていない。エーテルは底をついているから転移魔法など望むべくもない。そも、ここ一帯のエーテルがほぼ自分のせいでおかしくなっているから、発動できたところで安全の保障はないが。
「っ」
人肉と兵装がまばらになったところで、足が木の根か何かに取られた。踏ん張ることもできずに、ただ降り積もった雪へ墜落する。なんとか身体を持ち上げたが、足に力が入らず立ち上がれない。
「……っ、……、」
少し前までの自分なら諦めていただろう。起き上がることなく、そのまま雪の森に横たわり、ただ降り積もるがままに任せ、時間稼ぎという役目を果たせたことに満足しながらゆっくりと命を凍らせていく。帝国軍人としてもっとも相応しい最後だ。
だが、自分の腕は、重力に逆らおうとしている。
「は、……は、ぅ」
先へ、海へ、港へ、待っている人がいる場所へ、たどり着かなければならない。今日までずっと待たせてしまったから、きっと怒っているだろう。胸ポケットに携えてきたチケットは明らかにとてもいいものだったし、無駄にしてしまうと申し訳ない。何より——
「あいたい」
口に出した途端、抑え込んでいたものがぼろぼろと零れてきた。目の前の雪をぽつぽつと溶かすそれは雨にも似ていたが、雨とは違って熱くてしょっぱく、そして重たい。
「あい、あいたい、あいたいよぉ……」
情けない。子供みたいに泣いていいことなんて一度もなかったし、今だって体力の無駄だ。だが、どうしても止められなかった。こんなことは初めてだ。
自分の体温で雪を溶かしながら、荷物になって久しい両足を腕の力で引きずり、海を目指してただ這いずる。だがそれも長いこと続かない。
持ち上げることもままならなくなり、冷たい雪に頬を埋める。
うっすらと、遠くの空から汽笛の音が聞こえた気がした。
***
「——そろそろだって!」
遠目でも解る歪んだ空を、ただじっと眺めていた時だった。思考に割り込んできた明るい声に振り返ると、すっかり旅支度を調えた妹がそこにいた。
「そろそろ」
「船!」
「……あー、今行く。先入ってろ」
はーい、と妹は元気のいい返事をした。だが、その場から動くことはしない。自分と同じ金色の瞳が、じっとこちらを見上げてくる。
「お兄ちゃん」
「あ?」
「誰か待ってるの?」
そうだ、と言いかけて口を噤む。確固たる約束をしたわけではない、待ち合わせと言うには一方的で身勝手なものだ。相手がここに現れなかった時点で、もうはっきりしているだろう。
「……いや。オレは選ばれなかったみたいだ」
「?」
「気にすんな。それより早く中入れ、風強えから身体冷やすぞ」
「はいはい」
今度こそ妹の髪が潮風に翻った。桟橋に駆けていくのを見送りながら、キンバリーは再度港の入り口を、遙か遠く、歪んだ空の方向を振り返る。
「——」
微かに呟いた名前は、紫煙と共に海風に溶けた。煙草を落とすと足で踏み消し、視線を断ち切って妹の背中を追いかける。
出航を報せる汽笛が鳴ったのは、それから幾ばくもしない頃だった。