カルト教団編解決後、後遺症でエーテルの色が見えていた頃の自機の話
これでもくっついていない
世界は色に満ちている。
リムサの白と青、ウルダハの土と砂の色、グリダニアの深い緑。ラザハンは極彩色の嵐、北洋の都は碧と白。それだけでも目に鮮やかなのに、今はもっともっと色が多くて、視界から零れだしてしまいそうだ。
「……いてて」
突き刺すような鮮烈な光を放つ色を見てしまい、思わず目を閉じ顔を伏せる。眉間を揉んで溜息を一つ落としてから、ゆっくり顔を上げて薄目を開けた。
色が行き交う雑踏に先程の色はもうなかった。あーびっくりしたと胸をなで下ろしながら、視線を空に逃がす。
――視界に色が増えたのはつい最近のことだった。
カルト教団に捕まって、いやなことをされて、死の淵からなんとか戻ってみたらこうなっていた。聞けば体内のエーテルがぐちゃぐちゃになっていたから、きっとその後遺症だろうという。どういう理由かは知らないが、エーテルを関知する力がおかしくなってしまっているのか、周囲のエーテルの色が見えているのだ。
そうそう長続きはしないだろう、と友人の兄である超大型の牧羊犬のような主治医は言ってくれたが、意図しない色が様々にあふれている視界はなかなかに疲れるものだった。大勢の人間が行き交う市場なんてその最たる所だ。この前は何の気無しに買い出しに行って、ぐるぐる渦巻く色の波に気持ち悪くなってすぐ戻ってきてしまった。さすがに何か買い足さないとまずいのでリベンジも兼ねて来てみたが、二つ三つ買ったところでこの有様だ。人のいないところに避難して一息ついたは良いものの、再び戻る勇気も気力も削げてきた。
今日のご飯とにゃんこの砂は買ったからまた今度来るか、いやでもにゃんこのおやつは買ってあげたいしご飯ももう少し量がほしい。そう葛藤していた矢先のことだった。
「——あ? テメェなんでいんだ」
耳慣れた声に、空へ飛ばしていた視線をついつい戻してしまった。あっやば、と思ったが、無数の色が目を突き刺すその前に、夜色の大きな帳が優しく視界を覆っている。
「まだ休みだろ。家にいねえでいいのかよ」
「……休みだけど、ご飯とかいろいろあるでしょ、キンちゃん」
だから買い出しに来たんだよ、と提げていた手製の買い物袋を持ち上げて見せたところではたと気がついた。
「あ、そうだキンちゃん一個頼まれてくれない」
「は?」
「おつかい。あすこのお店でお肉とお魚とお野菜買ってきてほしい」
「はぁ? ここまで来たんなら自分で行けよ。つか何買うかわかんねえし」
「えー」
「えーじゃねえんだ、行くって決めたならちゃんと行け」
だがお願いもむなしく、買い物袋を持った手が大きな手にがっしと掴まれ、おら来いとそのまま遠慮なく引っ張られる。途端、ついついあげてしまった目の端々に色が映り込んで、「あいた」と声が漏れた。
「あ?」
聞かれてないといいな、という淡い期待は次の瞬間あっさりと消え、ずんずん進んでいた足はゆっくりと方向転換して建物沿いへ向かった。色の海に顔が上げられないままうつむいていたら、何か大きなものがゆっくりと近づいてくる気配がする。
「頭痛えのか」
気配から聞こえてきたのは、先程の不機嫌そうな様子とは打って変わって、低く控えめなキーンの声だった。慌てて「大丈夫」と否定するも、続けざまの声はやはり変わらず穏やかだった。
「嘘つけ、妙な声出してたろうが」
「耳いいな……」
「何を今更。兄さんところ行くか?」
「それは本当に大丈夫、もう話してあるから。ってか頭痛いわけじゃないし」
ここまできたら隠しても無駄と諦め、エーテルの色が見えてしまって目が疲れているだけと簡単に説明する。ふんふんふんと大人しく聞いていたキーンは、「なるほどわかった」と素直に納得してくれた——が、直後頭にばすんと重ための手のひらが落ちてきた。
「あいだ」
「そういうのは最初から言っとけっつってんだろうが」
「だからってぶつことないだろ、縮む」
「るせえわ。あとこれ」
追い打ちとばかりに、さすった頭にぼすんと何かが被さってくる。ずっしりと重たいが、夜の匂いがするそれは、感触からしてキーンの上着だろう。
「なに」
「買ってくる間被っとけ。ちっとはマシになるだろ」
「うわ、うん、ありがとう」
「適当でいいよな」
「三日分ぐらいあればいいよ。にゃんこのおやつもよろしく」
「にゃんこのおやつだな任せろ」
最後のやけに気合いが入った一言とともに、手から鞄をもぎ取っていった夜の気配が遠ざかっていく。余計なものを買ってこなければいいのだが、あの勢いから察するにきっと無理だろう。予算をオーバーしたら請求してやればいい。
(重たいなあ)
でも不思議と心地がいいのは、きっとこの夜のようなエーテルのせいだろう。すべての人に訪れる穏やかな時間をそのまま移し込んだような安心感がある。もし毛布にしたら飛ぶように売れるに違いない。
(つくづくキンちゃんらしい色だ)
あとでちゃんとお礼を言おうと決め、今のところは厚意に甘えて目をつむる。
食材と頼んだ覚えのない猫のおもちゃを抱えた上着の持ち主が戻ってくるまで、雑踏の音をただ聞いていた。