髪を切る

※漆黒ラケティカネタバレあり!※

一般冒険者自機+ヒカセンよそのこ(ハイランシルヴァくん)

「はい」
「……はい?」
 突然差し出されたギル札に思わず眉を寄せたら、差し出してきた畑仕事帰りの家主は「髪」と端的に言った。
「髪?」
「伸びてるからそろそろ切るのかなって」
「……あー、そういうこと。お小遣いかと思った」
「あんた俺のこと母親か何かだと勘違いしてる?」
 床屋代を出すのも十分母親じみた行為のようにも見えるのだが——というのは口から出さず、シルヴァは差し出されたギル札を「いらないよ」と断った。
「今は切らないから」
 今は切ってもどうせすぐ伸びるし、というのも飲み込んでおく。
 すると、緑色の双眸が意外そうな色を浮かべた。
「清潔感大事にしてんじゃなかったのか」
「俺は髪伸びても清潔感あるからいいんだよ」
「うわぁ」
「うわぁってなんだ」
 冗談ですよ冗談、と家主は笑った。頬を伝う汗を首に提げたタオルで拭い、洗濯物を突っ込んでいる籠に放り込むと、持っていた札をそのままシルヴァの目の前のテーブル、狐の縫いぐるみの尻尾の下へ滑り込ませる。
「ま、持っとくだけ持っとけ」
「だからいいって」
「財布に戻すの面倒くさいんだよ。髪切らないならあんたの好きな菓子でも買ってこい」
「うわ怖なにそれ」
 いつになく気前が良い。たまに予想外の臨時収入が入ったときや、むしゃくしゃして金をぱーっと使いたいときにこちらに奢ったりはするのだが、今回はどちらも聞いていない。そもそもシルヴァ自身最近家に帰れていなかったものだから、そういうことがあったかどうかという話すらできていないのだが、もしあったらすぐに解る。そして今回はそういうことはなさそうだ。
 つまり何の予兆もなく金を投げてきた。これを怖いと言わずになんと言うのか。
「だいぶ失礼だな」
 家主は麦わら帽子を壁に掛けながら笑った。
「俺のせっかくの気遣いを」
「その突然の気遣いが怖いんだってば。お前なんかあった?」
「ンー……」
 何の遠慮もなく服を脱ぎ、ばっさばっさと洗濯籠に放り込んだ家主は、首だけこちらに向ける。
「それはあんたの方だろう」
「は」
「何かあったな」
 断定だった。顔は笑っているものの、その目は茶化しもせず揶揄いもしていない。その視線に一瞬気圧されて、取り繕おうとした言葉も詰まってしまう。それを見て、「ほら」とさらに青年は笑った。
「やっぱり」
 そのまま、またもそもそと服を脱ぎ出す。
 もともとの職業のせいか、この青年は妙なところで勘が鋭い。人の心を読むかのようにとまではいかないが、それでもちょっとした機微であれば拾い上げてくる。それが具体的に何かというところまでは察しがつかないまでも、何かあったということと、何が必要かということはうっすら察知してしまう。こちらはそれなりに隠し事は得意なはずなのに、だ。
 ——頭の中に蘇るのは、ヤ・シュトラが話していたことだった。
 魂のエーテルの話やら、まるで罪喰いやら。それらの言葉がぐるぐると浮かんでは弾けてさらに細かい泡になる。
 自棄にはならないしなれもしなかったが、それでもぷちぷちと弾ける泡は鬱陶しい。気が散ると後々の荒事に響くかもしれないし、原初世界に残してきた家やら弟やら知り合い達が気になるからと断りを入れて戻ってきたのが昨日だった。破滅へ向かっている世界とはまるで違う、生きている世界の空気を吸って、だいぶ気分はマシになったが、それでも泡は消えないままだ。それはそう、世界を渡って戻ってきたところで、この身体が変わるわけではないのだから。
 それを見透かしているのかそうでないのか、青年は続けた。
「最近あんた、遠くに行ってんだろ。そこでキツいことやってるってのも、息抜きで戻ってきたってのもだいたいわかる」
 家主の背中が、草木の生い茂る衝立の向こうに消える。
「息抜きに帰ってきたんなら、それらしいことやってスッキリしてから戻れ。こっちが落ち着かない」
 そして、きゅ、と金属がこすれる音とともに、雨にも似た水音が聞こえてきた。
「……あーもう」
 湯気とともに漂ってくる嗅ぎ慣れた石鹸の匂いに溜め息を吐きながら、狐の尻尾に挟み込まれた札に視線を落とす。
「ほんとそういうとこだわ」
「は? なに?」
 飛んできた声に「何でもない」と返すと、一枚だけ抜き取ってよっこいしょと腰を上げた。

三度の飯が好き

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