自機+よそのこ(シルヴァおじい)
ハズレを引くこともあるという話
ぱたん、と扉が閉まる音がした。
先程エーテルが僅かに震えたからきっと帰ってきたのだろうというその予想は実際当たっていた。はあ、と落とされるため息も、どこか疲れたような足音も耳になじんだものだ。
その足音は風呂場の方に行った。クローゼットを開けた音がしたので、どうやらシャワーは浴びずに着替えているようだ。ばふ、ばふ、と洗濯かごにやや乱暴に服を放り込んだあと、静かに階段を上ってくる。
「じいさん、そっちいいか」
いやに抑揚のない声だった。いいよ、と言って奥に行くと、入り口に突っ立っていた体がのそのそと入り込んできた。いつもの煙草とはまた違った匂いがして、ああやっぱり、と勝手に納得する。ただそれでも、こんな時間に帰ってくる理由はわからない。
「外泊は?」
もぞもぞが落ち着き、背中が向けられたところで、気になっていたことを口にしたら、ややあって丸まった背中が答えた。
「やめた」
「そうかね」
その先は特に何も聞かなかった。いや聞きたい気持ちはあるにはあった、今日は外泊するからと元気よく言って分かれたこの男が、それを切り上げて帰ってきた試しなんてなかったからだ。だが、彼の纏う空気がそもそも暗かったものだから、何も聞かないほうがよさそうだ、と思った。ちゃんと年相応の弁えは備わっているつもりである。
「……はずれ」
だが、相手の口から出てきたのはいつものおやすみの挨拶ではなかった
「うん?」
「はずれひいた……」
「災難だったね」
「おう……」
はあー、という苦いため息が一つ。その息は僅かに震えている。
「何かあるなら聞くよ」
「ンンー……」
「ま、無理にとは言わんが」
人様の閨事だから細かく聞こうとも考えてはいない。ただ、いつもとは若干様子が違っているように見えたもんだから、愚痴程度なら夜話ついでに聞いてやろうと思っただけだ。
そう続けてやると、彼は背中を向けたままぼそぼそと言った。
「……やばいおもちゃ持ってきたから断ったんだよ」
「そりゃまた好き者だねえ……」
「だろ。痛そうだったし、嫌だっていったら、……なんというか、色々言われた」
「色々」
「そりゃあビッチも雌犬も合ってる、合ってるが」
もそ、と背中がさらに丸くなる。
「まだそこまでおかしくなってないつもりだったんだ」
詳しく聞かなくても想像はついた。
正直なところ、普段の彼の行いからして言われた言葉に不思議はないし、本人もそれをさほど反論せずに受け入れていることは知っていた。しかし、ここまで憔悴しているのを見るのは初めてだ。きっと言われたのは、彼の口にした言葉だけではないのだろう。
「――どっかしらおかしいもんだよ、人っていうのは」
らしくないなと思いながらも、その背中に声をかける。
「まともな人間なんてこの世にいたらたまらない」
「……あんたが言うとやけに説得力あるな」
「うるさいよ」
いいからさっさと忘れて寝なさいと投げかけると、見ていられないほどに情けなく丸まっていた背中から、ほんの少しだけ力が抜けた。
「誰かれかまわずなんてそろそろやめたらどうだね」
「別に誰彼かまわずしてない。ちゃんと選んでる」
「君の方は説得力がまるでないねえ」
「あーもう、寝かせろよ、夜中に怒鳴って疲れてんだよこっちは」
「はいはい」
調子を取り戻した悪態を適当にあしらい、少しだけ持っていかれたブランケットを引き寄せ直す。
ぬいぐるみの投げ合いが始まったのは、それから数分後のことだった。