チーズ!チーズ!チーズ!

「キンちゃん!!」
 何の変哲も無い昼下がり、霧の集落と銘打たれた土地にしては珍しくからりと晴れた空に響き渡った声に、キーン・スマイルはびくりと肩を震わせた。エレゼンにしては短い耳を精一杯下にへにょりと下げ、唇をきゅっと縮こまらせながら、おそるおそる声の飛んできた方――右手奥の庭先を見る。
 そこにいたのは一緒になると決めて久しいミッドランダーの男だった。チョコボ厩舎を掃除していたのか手にはホースを持ち、首にタオルを提げたその姿は、休日にそこらを闊歩しているただの一般人にしか見えない。しかしひとたび黒渦団の制服に袖を通せば、その生まれ月の神に相応しいある種の冷徹と苛烈を日常に滲ませる将校になる。
 そして今の彼はどちらかというと後者寄りの空気を醸し出していた。こうなることはわかっていたからできれば見つからずに家の中に入りたかったのだが、自分がどれだけ気を配ったところで似たような経験を積んできた軍属には通用しなかったらしい。特に両手にデカい荷物を抱えている今は。
「キンちゃんそれどうしたの!!」
 彼は――ヒラキはずんずんこちらに向かってきた。途中でちょろっとコースをよれて蛇口をひねり水を止めてホースをひっかけつつ、それでも勢いは殺さずにキーンのすぐ近くまで来ると、深い緑の瞳でこちらを見上げてくる。
 底の見えない沼だとか海のヘドロの底だとか散々な形容をされがちな瞳だが、キーンはこの夏の森の奥深くに静かに座している湖のような色が嫌いではない。嫌いではないが、こう見据えられると今までの経験上「自分は何か悪いことをしたのではないか」という気持ちにさせられる。いや今回は結構ばっちりと悪いことをしている自覚はあるのだが。
「その、えっとこれは……」
 いつもはあんなに回る口も、こう詰められるとなかなか思い通りには動いてくれない。非合法なことは決してしていない、していないのだが、後ろめたい感情はしっかりある。
 なにせ今キーンの両手に抱えられている褐色でデカくて重い塊は、店に売り出されていたときは三十万ギルとかいう値段で、そこから顔見知り割引で五万ギルほど値引いてもらったものの、一般のご家庭においては大いなる亀裂の元になる物体だ。一部のウルダハの銀行なんてこれを担保に金を貸すとかいうことも聞く。しかも重いし場所を取るし、消費しきるまでに何ヶ月かかるか解らない。
 そんなものを、ただ店主の「お兄さんに真っ先に見せてあげようとおもって」とかいう言葉とのギャップにやられて、かつ料理の道を学んだ者として一度はこういう物体を家に置いてパーティーしてみたいという衝動にも負け、勢いで買ったということがばれてしまったら、元ウルダハの商人のヒラキの目にはどう映るか推して知るべしだ。
「あのさあ――!」
 べちんとキーンの両頬が挟まれる。
「――なんでベーコンも買ってこなかったの!? もう無くなったって言ったじゃん!!」
 もうだめだおしまいだ指輪は返そうそして冒険者を引退してとらじろと静かに暮らすんだ――とこの先の人生を静かに憂えていたキーンは、予想外の言葉に目を見開いた。
「は」
「は、ってチーズパーティーするんじゃないの!? したいから買ってきたんでしょ!? あーワインもないやちょっと俺ワインといいオイル買ってくるからキンちゃんベーコンおねがいね!!」
 パスタもだよ!! なんて近所中に響き渡りそうな声を残してヒラキはどたどたと家の中に入っていく。その場に残されたキーンはポカンとしていたが、お出迎えをしてくれたトラジロウに足をすりすりされてようやく我に返った。
「待った、待った、コレ置くから」
「あっ鍋! フォンデュ用の鍋ないんじゃない!?」
「買ってくる買ってくる、なんなら作っから」
「ほんと!? ありがとうそんじゃいってきます!!」
 ドタバタと身なりを調え飛び出していく相手の背中を見送り、申し訳程度に作った置き場へチーズを置くと、キーンもまた財布をひっつかんで外へ出る。
 肉屋の店主に「いいことあったのかい」と言われるまで、いつも真一文字に引き結んだ口元が緩んでいることに気付かなかったのは、ここだけの話である。

三度の飯が好き

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