たぶんエタバンしたあと モブとお話するはなし
新進気鋭で有望株、同世代にできた商会の中ではいっとう飛び抜けた期待の星。
周りからの評価はそれで安定していたし、自分の中でもそうであった。そしてもちろん、その域に留まるつもりもなかった。事業は順調、人脈も上々、評判も好調ときたら機を見てどんどん拡大するのは当然だろう。
――それなのになぜ、自分は今こんなことになっているのだろうか。
アポはいつもの窓口の人間から、いつもの取引相手だと取り次がれたはずだった。だが、いつもの店にやって来たのは、うっすらと曖昧な笑みを浮かべた緑の髪のミッドランダーと、巨体を扉に割り込ませるように入ってきたゼーヴォルフ、そしてゼーヴォルフに乱暴に引きずられている血まみれのずだ袋のようになった本来の取引相手だった。
彼らが店に入ってきた途端、示し合わせたように他の客達が無言で席を立ち出て行った時点でおかしいと思うべきだった。そうこうしているうちにミッドランダーに同じ卓に座られ、背側にゼーヴォルフが立ち肩を抑えられてしまった。
「あ、これ俺の奢りね」
肩に乗った手に込められた力とは裏腹に、そこらの旧知にでもするかのような気軽さで勧められたのは巨大なジョッキに並々と注がれた水だ。普段ならここで怒鳴り散らかしているところだが、肝心の喉はまるでカラカラの砂漠のようにひりついて声が出ない。
「喉渇いてるんじゃない? 飲みなよ」
「……」
「ほら遠慮しないで」
深い緑の目がすぼめられる。
瞬間、ぐるんと視界が掻き混ぜられた。右頬に感じた衝撃と横になった地面に声も出せず混乱している間、固いヒールが目の前を横切ってゆっくりとこちらに近づいてくる。
「よいしょっ」
あまりにそぐわない声と同時に肩を踏まれた。仰いだ天井の灯りを背負うように見下ろしてきた顔には、相変わらずの距離感が掴めない笑顔が貼りついている。だがそれもすぐに布に覆われ見えなくなった。
「はいどうぞ」
あまりにも気楽な声とは裏腹に容赦のない冷たさが布に覆われた顔面を襲った。咄嗟に息を吸おうと藻掻くも濡れた布が口元にへばりついて息ができない。暴れようとしたがそれも身体の上に乗ってきた岩石のような重力で叶わず、脳内が途端恐慌に支配される。
陸で溺れるその寸前、白く濁っていた視界がぱっと明るくなり、口を塞いでいた布が取り払われる。流れ込んできた空気に咳き込み揺れる視界に映るのは、こちらを見下ろすミッドランダーの姿だった。
その、どこにでもいそうなミッドランダーは、先程とまるで何一つ変わらない笑顔で言った。
「おかわりしたくなった?」
血の気が引く音を初めて聞いた。同時に再び視界が鎖される。
「どんどんしちゃっていいよ。ここのおじさん優しいからね」
悲鳴はすぐに水に呑まれる。朦朧としてくる意識の中で、自分の情けない呻き声だけがいつまでも耳にこびりついていた。
***
ちゃんと床掃除してよ、という店主の言葉に愛想笑いとちょっとの心付けを返したのち、すっかり荒い呼吸を繰り返すだけになった人間を見下ろす。絞り出せるだけ絞り出したし、あとは適当に生かしておけばいいだろう。
「人呼んで」
「了解」
テキパキと縛り上げた部下はすぐに耳に手を当てる。交わされる会話を横で聞きながら、傍らの椅子に腰を下ろした。
こういう尋問系は向いていないとやるたびに痛感する。何が楽しくて人が苦しんでいるところを見ねばならないのか。どうせなら楽しく喋らせた方がいいに決まっているのに、なかなかそういう流れにはなってくれない。傍らに転がっているずだ袋だって、もう少し協力的なら痛い目には遭わなかったのに、黒渦団の制服を見た途端に逃げようとしたから気力からへし折ることになった。そして時間も無かったから同伴でここに来る羽目になり、最初から警戒された結果荷物が一つ増えてしまった。
「やっぱり俺向いてないよこれ」
「新手のジョークですか?」
「いやすごく真面目な話」
実際他の人間ならもっと手際よくやるし、こんなに手こずることもない。だがそれを付け加えても、部下の顔にでかでかと浮かんだ「うっそだあ」という言葉は消えなかった。
アラグの遺跡で見つけた録音機にちゃんと先程の証言が記録されていることを確認しつつ、次の目的地を手帳に書き留める。
「この後は司令部ですか」
「いや、仕入れ元に行く。荷が出るまで時間がなさそうだ」
「了解。お一人で?」
「その方がいいかな。ここからはただの伝令だし、人手が要るようなものじゃないから」
リムサ・ロミンサは海の都である。島の中で完結する悪事も勿論あるが、密輸だったり高飛びだったり、海の向こうに巣がある場合も大変多い。こういった場合は、その都市のグランドカンパニーに処理してもらった方が何かと都合がいいと研修でみっちり教えてもらった。
「後は頼んだ。今度ちゃんとごはん食べに来るからねマスター」
「先月も聞いたよそれ」
キビキビと敬礼する部下と、最早慣れっこの様子でグラスを拭く年嵩のマスターに手を振って、出口に向かいながらリンクシェルに手を当てる。僅かな間の後聞こえてきたのは、実に不機嫌そうな『あ?』という声だった。
「まだ不滅隊いるよね? 今からそっち行くからスウィフトさん呼んどいて。あ、ちゃんと帝国絡みだって伝えてね」
『は?』
「説明はそっちでする」
罵詈雑言になる寸前で通信を切り、扉を開けて外に出ると、転移のエーテルを練る。
随分月も高く昇ったが、夜はまだまだ終わりそうにない。今日はいつ帰れるだろうかと溜め息を吐きながら、ふわりと両脚を地面から離した。