おっさんの奮闘 
秘密(?)の戸棚を見つけたよ

 呼吸を止めて一秒、真剣な目をして目前の錠前を睨む。これほどまでに表情筋が引き締まっているのは獣の討滅以来かもしれない。とにかく今のシルヴァは元気いっぱいに真剣だった。
「むむむ……」
 手元に用意した小道具を、慎重に錠前に差し込む。
「エーテルの流れをさぐって……無理に断ち切らないで……すっと入るとこを……」
 教わったことをブツブツ口に出しながら細心の注意を払って針を動かす。教えてくれた人間はさも簡単そうにやっていたが、実際に自分でやるとなると緊張もあって指が震えてしまう。こういう時ばっかりは自分の太い指がちょっとだけ恨めしい。
「っと……えーと、差し込めたから……次なんだっけ」
 家主はなんて言ってたかなと頭を捻る。核を探すとかそういうことを言っていた気がしなくもない。そもそもこれは家主の鍵だから家主に開けてもらいなよ、と馴染みには言われたが、それはそれでなんか悔しいし、何より置いてある場所が場所だからはぐらかされる可能性があった。
 ベッドの下、誰も見ないような広い床下収納の奥の奥。シルヴァが謎の戸棚を見つけたのはまるきりの偶然だった。たまたまベッドの下にトームストーンを落としてしまって、それを拾いに行ったら見つけたのだ。
 一見普通の戸棚だった。上の方には何も入っていなかったが、下の扉には錠がかけられていた。最初は鍵を探したがどこにもない。それならと手で無理矢理開けようとしたが、やたらと頑丈で壊れない。しょうがないのでじっくり観察してみたところ、どうやらただの物理的な鍵だけではなく、魔術的なそれが組み込まれているようだった。
 ここでシルヴァの好奇心は最高潮に達した。
 自分の覚えがない戸棚、そして鍵には怪しい細工。明らかに家主の物だが、ここまでして隠すとは余程のものなのだろう。自分にも負けず劣らず奔放で竿を貸し借りする仲の彼のこと、もしかしたら開発途中で断念した魔導玩具が仕舞われている――かもしれない。もしくは単純に、知られたくない恥ずかしい物が仕舞われているか、だ。
 シルヴァは奮起した。絶対にこの戸棚を開けてやりたい。秘されているものは覗き見たくなるし、家主の弱みを握れるかもしれない。更に言うならシルヴァの力をはねのけたこの錠前をなんとか開けてやりたい。
 それから奮闘が始まった。いつにないほど情報を集め、本屋を巡り、ヌーメノンに赴いて顔見知りを仰天させ、それでも鍵は開かなかった。始めてから一週間、うんともすんとも言わない鍵に心が折れかけたシルヴァは、最終手段だとばかりに家主にそれとなく聞いてみた。
「えっ……おっさんの腕力でもダメなの? その鍵すごいな」
 それにーさんが作った鍵なんだけど、という言葉が喉元まで出かけたが飲み込んで、鍵の特徴を伝えると、何故か嬉々として教えてくれた。曰く、「戸棚ぶち壊そうとしないあたりに成長を感じる」らしい。よくわからないが、本まで貸してくれたことは助かった。
 そして今。うまくいっているかどうかは解らないが、今までにない手応えを感じている。
「先に入れた一本を上げて……ここかな……で、えっと、こうかな……」
 ほんの少しだけ指先にエーテルを伝えると、ぱち、と何かがはじける音がした。鍵から感じていたエーテルの流れがじわりと弱まる。いいところまでいったのではなかろうか。
 おそるおそる手を離して、ふー、と額に滲む汗を拭う。たぶんこれからが正念場だ。深呼吸して再び錠前を手に取る。
「ただいまー」
「ォひゃっ」
 だが、針金に手をかけたまさにその瞬間、耳に飛び込んできた声に思いっ切り手が滑った。やってしまったと思うまもなく、バチンと騒々しい音が鳴り、焦げたような匂いがじわりと広がる。
「わっわっ」
「えっなにおっさん大丈夫!?」
 どたどたと慌てた足音が近づいてくる。どうしようどうしよういっそのこと戸棚事粉砕してしまおうかという考えが脳裏をよぎった瞬間、収納の扉が開いた。
「おっさん!?」
「……あー、えっと、その、大丈夫、なんだけど」
「けど? ……あ」
 緑の瞳が、シルヴァの手元を見た。あわあわと言い訳を考えているうちに、彼はずんずんと近づいてくる。
「その、たまたま、見つけて……中身が気になっちゃって、」
「……」
「ご、ごめん」
 す、と家主がしゃがみ込む。
「おっさん怪我ない?」
 ぶっ叩かれそうと覚悟を決めたが、聞こえてきたのは存外優しい声だった。
「え? ああうんぜんぜん……」
「そっか、ならいいや」
「お、怒んないの……?」
「怒るも何も、別に大したもんがはいってるわけじゃないし。俺もこれのことすっかり忘れてたしさ」
 ちょっとどいてと言われて大人しく場所を譲る。屈み込んだ彼は焦げ付いた錠前と戸棚を観察しだした。
「え、すごい一つ目解けてるじゃん」
「やっぱ二つかかってた?」
「うん。おっさん才能あるんじゃない?」
 そんなことを言いながらも、器用な指先はすいすいと躊躇いもなく針金を操作する。さほどたたない内に、あれほど苦戦した錠前はあっさりとその口を開けた。
「これでよし。中身見る?」
「え、いいの」
「いいよ。隠すもんでもない」
「じゃあえんりょなく……」
 家主は煤を払って扉を開ける。
 中身は一部焦げ付いていたが、ほとんど無事だった。平べったい、随分年数が経ったお菓子の入れ物と、あとは古い革張りの分厚い手帳が一冊だ。
 彼はまず入れ物の方を手に取った。少し力を込めて金属の蓋を開ける。
 中に入っていたのは額面通りお菓子――ではなく、
「写真?」
「うん。俺の家族の。冒険者になって、初めてウルダハに帰ってきたときに、前の家から取ってきてた」
「ああ、お店だったんだっけ」
「うん」
 一番上の一枚をつまみ上げると、ランタンの明かりに近づける。そこに映っているのは、年嵩の男性が一人と若い男女が一組、勝ち気な顔をした少女と、女性の腕に抱かれている子供だった。
 家主はそのうち子供を指差して言った。
「これ俺」
「ちっさ!」
 だが言われてみれば面影がなくもない。ちょっと眠そうな顔だと言ったところ、そりゃそうだよ、という笑い声が返ってきた。
「店の何周年だったかなあ、その時に撮ったやつだって聞いた。そりゃ子供には関係ないよね。それでこれが姉さん」
「……お姉ちゃんいたの!?」
「純粋で無垢な俺はこのあとめちゃくちゃ泣かされることになったとは知るよしもなかった……」
 しみじみと語る目は遠く、どこかしら哀愁が漂っている。姉がいなかったから想像がつかないが、キーンとレジーの関係を見る限り、世間の姉というものは少し怖い物なのかもしれない、とシルヴァは思った。
「それでこの二人が父さんと母さんで、こっちがじいちゃん。俺と髪の色おんなじでね、俺が生まれたときすごく喜んだんだってさ」
「あ、ほんとだよく見れば緑だ。隔世遺伝なんだね」
「そうそう。でも姉さんにはクソ緑って散々言われた」
「強さを感じる」
「強かったよ。でも優しかった」
「じゃあこっちは?」
 シルヴァは残ったもう一つ、革張りの手帳を指す。すると家主はそれも手に取って、軽く煤を払ってぱらりと捲った。覗き込むとそこには日付や紙の種類と思しきもの、そして金額がやたらと綺麗な字でびっしりと書き込まれている。
「これは俺の手帳」
「にーさんの」
「うん。仕事で使ってたやつ。みんなの字が残ってるから持ってきた。……これ父さんのだね。そんでこっちは母さんので、一番最初のがじいちゃんの。姉さんはここに落書きしてる」
 ぱらぱらと捲られる使い込まれた頁には、ほとんどが見覚えのある文字だったが、確かに指し示された場所にはいくつか異なる筆跡が紛れ込んでいた。
「どうしても捨てられなくてさ。持ってきた」
「そっか。……無理に開けようとしてごめんね」
「いいよ別に。知的好奇心ってそういうものだし」
「そういうものかなあ」
「そういうもんだよ」
 どこか寂しげな表情を浮かべていた家主だったが、おもむろにぱたんと手帳を閉じる。そして、よっこいしょ、といささかおじさん臭いことを言って立ち上がった。
「おっさんおやつ食べる? 近所の菓子屋でバクラヴァ買ってきた」
「食べる食べる」
「お茶淹れて」
「いいよいいよ」
 文字通りの二つ返事でシルヴァは後を追いかける。
 家主の腕にはしっかりと、先程の入れ物と手帳が抱えられていた。

三度の飯が好き

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