通り魔のアレコレのさいしょのやつ
書きたいトコだけやって満足した
「——またか」
リムサにしては珍しく、しとしとと控えめな雨粒が水面を叩いていた。波音に混じる奥ゆかしい雨音を聞きながら足元の水面を見下ろし呟くと、傘を差しだしてきた部下が応える。
「はい。これで今週に入って三件、四人目です」
「四人か……」
「いよいよもって調子づいてきましたね」
「網が張られてることに気付いてないのかもな。……それはそれで、気付かないまま網を避けてることになるから厄介なんだけど」
はぁー、と溜息を落とした先。潮と命の香りがたゆたう水面にもう一つ、魚にしては大きくヒトにしては小さいものが、死の匂いを滲ませながら浮かんでいた。遠くから聞こえてくる半ば泣き声混じりの興奮した声は、今朝早くにこれを見つけたご婦人のものだ。それに煽られるようにして人だかりも徐々に増えているが、イエロージャケットがすでに大半を回収しているからそのうち散っていくだろう。
「状況と死体の状態から、今まで通り夜中のようです」
「夜の見回り人員増やすしかないか……イエロージャケット側はなんて言ってる?」
「今までと変わらず、手がかりナシ、と」
「望み薄かあ……」
「一体何やってるんでしょうね」
「しょうがない、しょうがない。夜のここいらは人通りないし、海に落とされたらもうほとんど終いだよ。海は万物の母にして墓場」
一番大きな最後の一つが引き上げられたのを見届けて、現場で働くイエロージャケットの面々に差し入れを託しつつ司令部へ足を返す。自分は現場を一瞥しただけで何もかもが解る名探偵ではないし、管轄ではあるが仕事も違う。ここに長く留まっていては迷惑だろうし、本来の仕事も進まない。
「今の段階で俺たちができるのは、相変わらず外との連携と夜間の人員割くことぐらいかな。冒険の時間減らしちゃって悪いね」
「それは隊長も同じ事でしょう。それに自分らはとっくに慣れてます。遠慮なくご命令を」
「承知した、貴殿の献身は有り難く受け取ろう——なんてね」
「はは」
「じゃ今週の夜間シフト組むよ」
執務室の椅子に腰を落ち着け、抽斗から書類を出す。イエロージャケットに通知する分と、あとは自分たちの分だ。
都市内の治安維持は基本的にイエロージャケットが主体となって動いている。黒渦団も関わっているとはいえ、その比率は向こうの方が高いしノウハウも多い。こういった事件では向こうに任せて、こちらは手足となって動く方が効率的だった。
——そう、海都は今、事件の細波に揺れている。
はじまりはつい先々週だ。ある貿易商の死体が海に浮いた。全身がバラバラにはなっていなかったが、それでも関節部分に刃を入れようとしていた形跡があった。完全に分離するようになったのはその翌週だ。イエロージャケットの医者の話では、徐々に「上手く」なっているという。
「やだねえ成長って、厄介だ」
「まったくです。子供や赤ん坊なら喜ばしいんですけどね。……ああこれ、不滅隊宛ての問い合わせが返ってきてました。過去の該当案件なしだそうです」
「ないかぁーそうだよね、そりゃそうだ……人通りのないとこ知ってるってことはほぼうちの住人だし」
眉間を揉みほぐしながら、先週の分と照らし合わせて負担がないものになっているかを確認しハスタルーヤに手渡す。
「コーラルタワーにもよろしくね」
「承知です」
「都合が悪い子がいたら全然断ってくれていいから」
「は、伝えておきます」
副長は下士官を呼びつけて書類を渡し、指示を伝えている。その隙にリンクパールへ指先を添えると、一呼吸置いてコールした。
「どうも、お忙しいところすみませんボルセル大牙佐」
『——あれ? 君からかけてくるなんて珍しいね! どうしたの?』
「少し頼みたいことがありまして。この前の案件の貸しで払います」
『そう言われたら聞くしかないなぁー。で、どんなお願いだい』
貸しを作っておいて良かったと心底ホッとしながら話を進めて通話を切ると、指示を終えて更にコーヒーまで淹れていた副長が「なんです今の」と聞いてきた。
「今のはそうね、言うなれば外部との連携かな」
「双蛇党ですか?」
「半分はそう。……コーヒーありがとうね、飲み終わったら出ようか」
「はっグリダニアですか」
「んーん」
カップの縁をついと拭い、ぺろりと指を舐める。
「ゴブレットビュートだ」
***
「やーおかえり。背伸びた?」
買い物袋を抱えて入ってきた長身は、声をかけた途端に面白いぐらいに跳ねた。尻尾までピンと上向きに伸びている。
「……ッッッッッびびっ、たー……!!」
「ごめんごめん」
「遊びに来るなら来るって言ってくださいよ兄貴」
「びっくりするから?」
「それもあるけど、酒とかつまみとか用意したいし!」
うーん真っ直ぐで良い子だ、と向けられた笑顔に思わずこちらの頬も持ち上がった。本当に、近年まれに見る性根と心地が良い青年だ。目の下に似合わない隈がなければもっといい。
「それは今度ね。俺の仕事が落ち着いたら皆で飲も」
「ウッス。今日はどうしたんすか? 仕事帰り?」
「残念ながらまだお仕事中。ここに来たのもお仕事の一環」
途端、彼の——ココの眉毛がへにゃんと下がった。自分がオフなのに申し訳ない、という感情がありありと滲み出ている。担当が違うからそれほど気にしなくとも良いのに、彼はこういう所でも真っ直ぐだ。
だが次の一言で、そのへにゃんとした仔犬のような空気はどこかへ行くことになった。
「通り魔の話なんだけど」
「……ッス」
警戒、心配、そして緊張。肌に伝わってくる感触は他の誰よりも正直だ。素直さは良い人徳になる反面、弱点にもなりかねない。
「これはまだ内緒なんだけど、最悪の場合コーラルタワーだけじゃなくてうちも動くことになりそうで」
「そういうのはちょっと聞いてますね」
「でしょ。それで聞きたいことはね」
緊張した面持ちのココとは正反対に笑顔のまま、さらに口元をつり上げる。
「リラぴ最近お出かけしてる?」
背中の衝撃に一瞬息が詰まった。かしゃんと足元に落ちたのは自分の眼鏡だろう。伊達眼鏡で良かったとホッとしながら、自分を壁に抑えつけた相手を見上げる。
「あんた、あんた友達を、大事な人を売るのか……!」
やはり張り詰めていたらしい。しかもほとんど答えを言っているようなものだ。察しが良いのは大いに歓迎すべき事だが、見せる反応は気をつけなさいと教えたほうがよさそうだが、それは今するべきことではない。
「売るもなにもないよ。俺は仕事してるだけ。その様子見るにお出かけはしてるんだね」
「あんた——」
「もう一つ聞くけど、なんか変わったことはある? 帰ってきたときいつものお出かけと様子が違うとか、そういうの」
「そういうのは、ねえけど……」
「なるほどねー」
これは本当だと確信した。この目の動きは嘘をついている人間のそれではないし、もとより嘘がつけない子だ。
「じゃあ最後だけど、あの子のお出かけに例外はなかった?」
「ねえ、と思う……詳しく聞いてないし、見てもねえけど、そういう奴じゃない」
「よし、じゃあいい」
「いい、って何が?」
「とりあえず離してほしいなあ」
大きな手が慌てて離れていく。皺を適当に伸ばしながら、床に落ちてひびの入った眼鏡を胸ポケットに突っ込んだ。
「例外はないって事が解れば良かったんだ。最近のは例外ばっかりだったから」
「はあ?」
「俗な言い方をすると小物ばっかりってこと。ま、これで網からは外れたよ、安心していい。……突然来ちゃってごめんね、お礼はまた今度」
バイ、と軽く手を振って家を後にする。怪訝そうな視線が背中に刺さりはしたものの、追いかけてくることはなかった。
進展はないが切り分けはできた、といったところだろう。最初はもう少し見分けがついたものの、最近のはほとんど「綺麗」になってしまっているから、ここの切り分けができただけでもありがたい。もう少し早くやっておきたかったが、こればかりは悔やまれる。
「どうでした」
「上々。犯人はまだわかんないけどね」
少し先で待っていたハスタルーヤと合流し、さほど歩かないうちに、見知った影が向こうからやってきた。
「——あれーここにいるの珍しいね」
「出張でさー人使い荒くて困ってたとこ。リラぴは? 買い物?」
「それがさぁ~聞いてよ、急に呼び出されたんだよぉ! 折角のお休みなのにさ!」
憤懣やるかたなしと唇を尖らせたのはリラだった。彼はぷんぷんとひとしきり怒った後、「お仕事頑張ってね!」と手を振って家路を帰っていく。
「ココちゃんによろしくねー」
「はーい!」
遠ざかっていく声に背を向けて歩き出すと、隣を歩いていたハスタルーヤが「あれですか」と呟いた。
「あれって?」
「今朝の連絡ですよ」
「そ。あの子には悪いけどボルセルさんに呼び出してもらった。揺さぶるのはさすがにね、気が引けたからさ」
「そうですね」
リムサとは違い、からりと晴れた空の下で軽く伸びをする。砂まみれであっても、乾いていても、故郷の空気はやはりどこか落ち着くものだ。
「はー……折角だから昼飯食って戻ろう。ここらのランチ久し振りだし」
「光栄です!!」
「うわ声でッか」
若干暑苦しさを増した部下から遠ざかりつつ、市街へと足を向ける。
からりと晴れた空に、じわりじわりと雨雲が増えつつあった。