ひそむもの

帝国if スウィフトさんとボルセルさん 
これのあと

 ぎゃあ、という悲鳴があがってにわかに階下が騒がしくなった。視線を下に向けると、燻る顔を覆ってよろよろと後ずさる男が目に入る。明らかに尋常ではない様子だが、最早慣れた。傍らに控えた士官にすぐさま目配せをして治療師を手配すると、運び出されていく男を見送る。
 喧噪はすぐ鎮まり、また先程までのように事務的な会話のみが交わされ始めた。
「順調……ではなさそうだね」
「残念ながらな」
 後ろからかけられた声に振り向きもせず応える。見なくとも解ったからだ。
「君も視察? 不滅隊も大変だねえ、スウィフト君」
「貴殿が言えたことではあるまい、ボルセル」
 まあね、と後ろの気配が隣に並ぶ。目に鮮やかな黄色の隊服は着る人を選ぶだろうに、さも当然のように着こなすフォレスター――ボルセルは、苦笑とも諦めとも取れる曖昧な笑顔をその端正な顔に浮かべた。
「うちも上の人がすっごくて。もう二年は経ってるのに諦められてない。別件で来たのについでに見て行けってさ、今残業」
「……静観しているのは黒渦だけか」
「陸続きはつらいね」
 はーあ、と大げさな溜め息を吐いて、ボルセルが前を見る。それに釣られてスウィフトもまた、その視線の先を追った。
 落ち着きを取り戻しつつある室内には、白衣の人間たちが何人かと、真ん中に人を横たえた寝台がある。薬学院の処置室にも似ているが、違うのは白衣の人間達の目的が治療ではないことと、何かを一斉に書き込んでいる点だった。やがて、白衣の人間がもう一人連れてきて、開いているベッドに横たわらせる。新たに入ってきた男の面持ちは緊張しているようだ。
「今度の人は?」
「ああ、あれは確かうちの兵だな、志願してくれた。例の力も持っているようだし、悪いようにはなるまい」
「でも成功するとは限らない?」
「……ああ」
 白衣の人間達が淡々と「万が一の事態」について説明をし、横になった男が頷いて目を閉じる。
 そう、これは治療ではない。情報収集の一環として、不滅隊が進めている極秘の案件だ。目的は今の男でも、白衣の人間達でもない。ただ先程から身動きも喋りもせず、ただ呼吸しながらもう一つの寝台に身体を横たえている痩せ細った男だった。
 右目がなく、髪は伸び放題で、明らかにサイズの合っていない衣服から見える手足にはいくつも傷跡が刻まれたみすぼらしい男は、この部屋に連れてこられてから一言も話していない。いや、話せない。話すための意思がないからだ。
 ――緑の隻眼、と北の森では呼ばれていたらしい。
 帝国の境界を護る属州出身の召喚士。撃って出てくることはせず、魔道士の部隊を率いて一線を越えたエオルゼアの部隊を留めてきた彼は、帝国の黄昏の日、背後を押さえようとした連合部隊をたった一人で喰ったという。伝聞でしかないのはその内容を伝えるはずの生き残りが誰一人いなかったからだ。応答が途絶えた強襲部隊の確認へ向かったものたちが、血と臓物に埋め尽くされた森を見つけたから判明したようなもので、今も調査報告書の内容は二転三転している。
 そんな、死体と呼ぶことも躊躇われるようなものが散らばる惨状の中、一人生きて倒れていたのが彼だった。ただ、彼の部隊達はまるごと消えた。おそらく部隊をエオルゼアへ逃がし、彼自身は足留めをしたのだろうが、それが上層部にとってはよろしくなかった。
 ガレアン人は額に第三の目がある上に、魔術を行使することができない。故に見分けが付きやすいのだが、隻眼の部隊はすべて属州人で構成されている魔道士部隊だ。三国に紛れ込まれてしまうと見分けがつかない。それを利用して潜伏し、内側から反抗を企てるつもりならば取り返しの付かないことになる。だから、唯一手元に残った隻眼から、部隊の居場所を吐かせなくてはならない。報告書に記載されていた内容だけでも苛烈な尋問が行われたことは十分にわかった。
 だがその結果がこれだ。尋問に耐えきれなかった隻眼は、残されたエーテルを使って己の魂を丸ごと焼いた。そして、ただ呼吸するだけの肉の蛹になった。
 それでも上は諦めていない。彼を治療施設に預けつつ、時折こうして足掻いている。
「覗覚石で記憶エーテルを覗き見る……っていうのは、なかなか画期的だと思ったけど」
 スウィフトは溜め息を吐いた。
「そうだな、普通の人間ならば上手くいくのだろうが……未だに入る前に逃げ出す、入っても焼け出される、の繰り返しだ。中を探るまでには至っていない」
 先程の男のように、覗き見ようとした人間はことごとく発火するか、その前に弾かれた。潜り込んだ先のエーテルに直接作用されたのかもしれないというのは周囲の研究者達の言だが、何にせよ進展はなかった。
 だが、スウィフトはそこに何かがあると思っている。
「魂を焼き切ってしまったのであればそもそも入れるわけがない。何かが反応を返してくるということは、中に何かが残っているはずだ」
「それとも、何かがいるか、かな。焼かれなかった人の話も気になるし」
「鳥か?」
「そうそれ」
 確かに、とスウィフトは頷いた。焼け出されない人間は何人かいたが、彼らは一様に『鳥』の存在を口走っていた。鳥が見てくる、鳥の眼が追ってくるなどいくらか幅はあるが、何かがいることの証左とも言える。
「その辺りをとっかかりにすれば何かが解るかもしれん」
「僕も同感だよ。……ただね」
 ボルセルは寄っかかっていた手すりから身を離す。エレゼンの長身が優雅に姿勢を正し、木々の間の影を正確に捉える瞳が、動かない隻眼を見ている。
「時々思うんだよ。隻眼は逃げるためじゃなくて、こういうことすら見越して招き入れてるのかもしれない、ってね」
「……ぞっとしないな」
「ま、憶測でしかないけどね! 今週の報告書待ってるよ」
「貴殿に読ませるために書いているのではないが」
 スウィフトの文句もむなしく、じゃあね、とつかみ所のない背中が扉の向こうに消えていく。
「何が残業だ、まったく」
 呆れ返った溜め息に、男の悲鳴と焦げた匂いが重なった。

三度の飯が好き

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