帝国if 冒険者デビューする召喚士君とわちゃるモブ
「生意気な下士官はきっちり叩いた方が後が楽」とのこと
その日、溺れた海豚亭は密かに沸いていた。
大規模な討滅戦があるわけでもなく、新たなダンジョンが発見されたわけでもない。ただなんてことのない一日だったのたが、集う冒険者達の心はほんの少しだけ、いやだいぶ浮き足立っていた。心なしか客入りも普段より多いように見えるし、何より店主のバデロンがちらちらと入ってくる人間を気にしている。店の中の空気全体が今日という日にそわそわしていた。
給仕はその理由を知っていた。正確には、今日の朝バデロンから直々に聞いた。
なんでも今日、新たに冒険者になりたいとやってくる人間がいるらしいのだ。別に新人が珍しいわけではない。なんせここは名だたる海賊たちのお膝元で美食の都の名をほしいままにするリムサ・ロミンサだ、冒険者志望の新人なんて毎日数え切れないほど来ている。皆がそわそわとしているのは、その新人がとんでもないやつの紹介で来るから、という一点に尽きた。
曰く、どんなに遠方の仕事であっても日を跨いだ依頼はないとか。
曰く、どんなに困難な討滅戦であっても仕留めて必ず帰ってくるとか。
さらに曰く、盾役だけではなく攻め手も癒やし手もできるとか。
その他様々な噂を振りまきながらここ一年で急激に頭角を現し、溺れた海豚亭のエースと言っても過言ではない冒険者――キンバリーが、「オレよりも強いヤツ」で「せっかくだから冒険者やりてえって言ってる」人間を、今日の昼ごろに連れてきたいという連絡が入ったからだった。
連絡を受けたときのバデロンは端から見て面白かった。「ア!?」と店全体に響き渡る素っ頓狂な悲鳴を上げたあと、「お前正気か」だの「なんで今まで連れてこなかった」だの「待ったちょっと心の準備が」だの、普段の荒くれ者たちのまとめ役といった様子はどこへやら、だいぶ支離滅裂なことを言っていた。だが十指のバデロンと呼ばれているだけはあり、深呼吸一つでその面白さはおさまって、最終的には「……わかった、昼だな」という言葉とともに話を切り、どでかい溜め息を一つ零すだけにとどまった。
それから数時間。人から人へとあっという間に話が伝わり、太陽が真上に来る前に、こうして妙な空気ができあがってしまった。
「ほんとに来るんでしょうか」
「来る」
昼の注文を捌ききった空き時間、ふと聞いてみたら帰ってきたのは若干抜けた返事だった。だが、この海都の冒険者では知らない者はいないと言われつつあるキンバリーが――腕も良ければ顔も良い、さらにおまけに声もいいキンバリーが、「オレより強いヤツを連れてくる」と言ったのだ。気もそぞろになるのはわかる。
「自分からした約束は破らねえからな。他の仕事はすっぽかすが」
「言われてみればそうですね。急に休んだりしますけど」
「だから俺は来ると踏んでる。いや来てもらわねえと困る。この時間までに使った精神力が無駄になる」
そう言ったバデロンは、洗い終わったグラスをそわそわと拭いていた。明らかに落ち着いていない。かくいう自分もこの空気にあてられている。なにせ寄ってくる人間は塩どころではなく氷対応であしらい、酒の誘いもさっさと断りそそくさと帰る、孤高の狼のようなカリスマ性を醸し出す男が、尋常ではなく目をかけている(らしい)人間を連れてくるのだ。気にならないという方がおかしい。
目当ての人影が見えたのは、バデロンが時折人と話しながらグラスを磨き続けて五個目に差し掛かった頃、恐らく同じ目的で席に着いている冒険者達につまみを運んでいたときだった。
「ぉワ!?」というまたもや素っ頓狂なバデロンの声に振り返ると、カウンターの前にはすらりと長い影が立っていた。同時に、ざわざわと周りの空気がさざ波のように変わり始める。
「キンバリー」
「キンバリーだ」
「来たな」
「昼過ぎじゃねえかよ」
「来ねえかと思った」
「いつの間に? つか一人か?」
最後の一言に内心頷きながら、そっとテーブルを離れてカウンターへ行く。連れてくると言った人間はどこいるのだろう。バデロンの当ては外れたのだろうか。
「——ほ」
だがさり気なく回り込んでみて変な声が出た。
いた。カウンターとキンバリーの間に挟まるようにして立っていた。影になっていたから見えなかっただけかと納得し、だがほぼ同時に頭の中に疑問符が一つまろび出てきた。
(……、普通では?)
そう、あまりに普通だった。
中肉中背、平均的なミッドランダーだ。周りを威圧する覇気があるわけでもなく、体格が良いわけでもない。ミッドランダー特有の解りづらさもあってか歳の頃合いも若いのかそうでないのか判別しづらいが、雰囲気だけで言うなら、突然見知らぬ場所に連れてこられておどおどしている小動物が一番近い。影色に金の瞳という目立つキンバリーとは対照的に、褐色がかった肌に緑と焦げ茶の髪と、色味すらどこまでも穏やかな印象だ。目立つのは右目の真新しい眼帯だが、言い換えればそれだけである。どでかい狼の影に隠れた仔猫か何かのようだった。
「それで、あんたか? キンバリーの紹介ってのは」
何百人もの冒険者を見てきたバデロンもすぐには信じがたかったらしい。登録の書類を用意しながら話を向ける。
「そ、そうです。いつもキンちゃ、キンバリー君がお世話になってます」
「おっとご丁寧にどうも。それじゃあこいつに名前と、扱える得物を書いてくれ」
「はい」
受け答えも普通だ。むしろ他の冒険者達よりも気迫が感じられない。どうぞとお冷やを出したら会釈までされてしまった。
これが本当に、キンバリーが認めた人間なのだろうか。そう思ってちらりと連れてきた張本人を見遣ったら、書いている背中をいつになく得意気な顔をして見守っている。人違いや詐称というわけではないらしい。
「——おうコラ」
ちらちらと観察していたところ、突然全く別の声が割り込んできた。どっかりとすぐそばの椅子に腰掛け、ペンを握ったミッドランダーを威嚇するように睨めつけているのは、最近この街にやって来たハイランダーだ。仕事の達成率は程々なのだが、ガラと素行の悪さ、そしてキンバリーに対する崇拝に近い執着の方が広まってしまっている、いわば軽い問題児である。だがそんな問題児もこういった状況では重宝されるようで、周囲はただ成り行きを見守っているようだった。
「テメェか? キンバリーさんが連れてきたってのは」
ミッドランダーの青年は先程と変わらないおどおどした視線を向け、そして後ろで警戒と嫌悪をない交ぜにしたような顔をしているキンバリーを見やった。
「えっと、キンちゃんの知り合い?」
「は? 知らね」
「……」
さっそく出鼻を挫かれたらしい。だがすぐに持ち直した。このあたりはタフな斧術士ならでは——かもしれない。
「どこのチョコボの骨か知らねぇが良い度胸じゃねえか、え? どうやって取り入った?」
「だ、だれに……?」
「とぼけてんのか? キンバリーさんにだよ」
「取り入っ……てないと思うけど、なんで?」
「テメェみてえなヒヨッコがキンバリーさんよりも強えわけがねえ」
「……キンちゃん俺のことなんて言って紹介したの」
突然上がった視線を受けて、ぷい、とキンバリーがそっぽを向く。いや別にほんとのことだし、テメェの魔術すきだし、だの口の中でもごもご転がしているのは言い訳だろうか。だが、今までに見たことがない反応であることは確かだ。
「だいたいテメェみてえなぽっと出のモヤシなんて荷物持ちが良いとこだろ」
「なんでそんな話になってるのか解らないんだけど、つまり、あんたは俺のことが信用できないってことでいい?」
「お? っおおそうだよそれ以外に何があんだって」
「じゃあ一緒に行こ」
「あ? どこに」
まくし立てていた男の口が止まった。一方、青年は走らせていたペンをペン立てに戻すと、曖昧な笑顔を男に向ける。牙を剥かんばかりの後ろのでかいのとは対照的だ。
「お仕事。第三者の視点から意見が欲しかったんだ。キンちゃん褒めるだけでダメ出しくれなくてさ、ね、行こう。あんた斧術士? ちょうどいいね、魔導書持ってきてよかった。キンちゃんもついてくる?」
「んぁいく」
「おぇ、ま、ちょっ」
「えっと、なにかいいのありますか? キンちゃん基準でいいです」
「は、——っと、遺跡の調査が来てるな、丁度名指しで」
興味津々といった様子で話を聞いていたバデロンが、いそいそと依頼書を取り出した。受け取ったのはキンバリーだ。金色の瞳が書かれている内容をざっと洗っていく。
「どう?」
「……今日中で済むだろ、そこのがすぐ潰れなかったらな。あと一人はエトワール呼びゃいい。喜んで飛びついてくる」
「じゃ帰りにご飯食べて帰ろうか。——ほら行こう、いろいろ知ってる人なんでしょ? 流儀とか作法とか、教えてくれると嬉しいな。ね?」
先程までの勢いはどこへやら、逆に青年にただ連れていかれる男を他の客達と一緒に見送る。
「……大丈夫でしょうか。イエロージャケットに話しておいた方が」
三人の姿が見えなくなり、店の空気がいつも通り動き出したところで、ペンや紙を仕舞っているバデロンに言う。だが彼は「あー、ウン」と曖昧な返事を寄越してきた。
「それは要らねえかな。キンバリーがいるし、あの兄ちゃんもそれなりだ」
「それなり」
「あーでもアレだな、気付け用の酒は用意しといた方が良いかもな」
「えっとそれは」
どういう意味だ、という視線を受けて、バデロンは手元の紙をチラリと見せてくる。
「あながち間違いじゃねえって事だよ。キンバリーの言ってたこと」
「…………ぉわぁ」
紙を見遣ったあと、思わず出た声に口元を抑える。
その紙——先程まで青年が書き込んでいた紙には、端から端までみっちりと、得物の名前が書き込まれていたのだった。