ありえるかもしれない未来、分岐の向こう側のハスタと自機
※匂わせCPと死ネタがあります
隊長の朝は遅い。
自分が起き、猫たちにごはんをやり、朝ごはんの支度を整え、隊服に着替えてコーヒーを淹れ終わって少ししてからようやく起きてくる。
「おはようございます」
「……おはよう」
欠伸で伸びるほっぺに大小の肉球の跡がついている。朝ごはんを終えて元気いっぱいな猫たちに、踏まれに踏まれて起こされたのだろう。その様子を想像するとなんとも微笑ましい。
「朝ごはんできてますよ」
「ありがと」
「今日は午後ですか?」
「いや、昼前に会議があるから少ししたら出るよ。あんたは戻り遅いよな? 晩飯いる?」
「食べたいです」
「わかった。好きなの用意しとく」
「やった」
それなら今日の仕事も頑張り甲斐があるというものだ。ビスマルクで鍛えられた隊長の作る手料理は本当に美味しい。毎日食べていると同僚に言ったところ、えらく羨ましがられた。数少ない密かな自慢だ。
隊長の手が、時折甘えに来る猫やクァールの頭を撫でながら、滑らかにバターナイフを操りこんがりと焼いたトーストにバターを塗っていく。眺めていたら不意に昨晩の感触を思い出してしまい、あらぬ方向に行きそうになったので、慌てて自分の分を口の中に突っ込んで飲み下した。
「あんまり慌てて食うと喉詰まらせるよ。まだ余裕あるだろ」
「んんッ、あの、いえ、お構いなく……」
なんのこっちゃという視線が痛い。だがその緑の瞳はすぐにゆるく弓なりを描いた。
「食欲がある若者は見てて気持ちいいな」
恐縮です、という自分の返事に、ごろごろという爆音が被った。いつのまにかクァールの頭が隊長の膝を独占して喉を鳴らしていて、髭の付け根を引っ掻いてもらっている。他の三匹は拗ねたのか、ソファーの上でじゃれて団子になっていた。
平和な朝だ。
一緒に食器を片付けて支度を調え、先に準備ができていた自分が先に出る。玄関まで見送りに来てくれた隊長の額にかかった、白髪がほんの少しだけ混じった髪を優しく掻き分け唇を落とすと、くすぐったそうな声が返ってくる、実に平和な朝だった。
「仕事頑張ってな」
「隊長も」
「うん」
「いってきます」
「いってらっしゃい。また後で」
穏やかな声に背中を押されるがまま、庭を横切り門へゆく。最後に一度振り返って、まだそこに立ってくれている伴侶に手を振ると、転移魔法を詠唱した。
——隊長の朝は遅い。いや、遅くなった。
かつて夜が明けてすぐだったはずの隊長の朝は、ある時期を境にすっかり日が昇りきってから始まるようになった。特に身体の具合が悪いわけでもなく理由はごくごく単純で、夜遅い時間まで起きているからだ。自分と身体を重ねたあと一度寝はするものの、深夜になってから再び目を覚ます。だが起きるわけでも、どこかに行くわけでも、水を飲みに行くわけでもない。
なぜ、というのは聞かなくても解った。
天窓から差し込むやわらかく穏やかな光。かつて隊長が、英雄達に連れられてたどり着いた空の向こう。夜のとばりに浮かぶ白金色。隊長の目はその光に向けられ、注がれていた。初めてそれを見たとき、自分は全てを察した。そして、夜が終わる光景を目にしたくないのだと呟いていたことも思い出した。思い出してしまった。
代わりでも良いからと懇願し必死で思いを伝えたあの日からずっと、隊長は夜に引きずられている。
ハードな仕事を終えて家に戻れたのは、朝に伝えた通りとっぷりと日が暮れた後だった。頼まれた買い物も全て終わらせて大急ぎで転移し、地面に足をつけた途端、鼻腔をなんともいえない良い香りが擽る。
「ただいま」
「ああおかえり」
扉を開けた途端、ソースの良い香りと肉の焼ける匂いが濃度を増す。さらにじゃれてきた猫たちのふわふわした温もりが腹や足にくっついてくる。柔らかい明かりに包まれた屋内、カウンターの向こうで振り返るのは、仕事場で会うときとはまた正反対の柔らかい顔を浮かべた大事な人。夜を追いかけることに疲れ、それでも夜にまなざしを向けながら、巣の中で翼を休めることを覚えてくれた愛しい鳥。
これを幸せと言わずに何と言えばいいのか、ハスタルーヤにはわからなかった。
「もうちょっとでできるから、先に着替えてきて」
「わかりました」
荷物の中に自分たちのご飯の補充があることに気付いたのか、ごろんごろんと足下で転がり始めた大小四匹を踏まないように気をつけながら中に入ると、後ろ手に扉を閉めた。