召喚士の片目がとられた話
「……テメェなんだそれ」
最初に口から出てきたのは、遅かったなという言葉でも待ちくたびれたという文句でもなく、ただただ狼狽えた声だった。向けられた先はいつも通り、隣に座った緑頭だ。彼はかけられた一言が、何についての事なのか解らなかったようでしばらく首を傾げていたが、やがて「ああ」と声を上げた。
「これ?」
「それ以外に何があんだよ」
「正直慣れちゃったからさ、言われるまで忘れてた。あっ店長いつものご飯ちょうだい」
あいよ、という威勢のいい声とともに、心配げな顔をしていた店主が奥へ引っ込んでいく。見えなくなったところで、「はーお腹減った」なんて呑気なことを言っている相手をもう一度見た。
「いつからだ」
「日曜。作戦で」
「怪我か」
「遠因は怪我だけど、現場の時は治療師に治るって言われてたんだよね。そんで戻ってちゃんと見てもらったら」
言葉が切れた。
コップに向けられていた視線が上がり、再びこちらを捉える。
「取られちゃった」
にへ、と気の抜けた笑顔が向けられる。
その右目は、真新しい眼帯で覆われていた。
***
四六魔導大隊は実験大隊だ。
地面に染み込ませた血と鉄とエーテルを基盤に、局地的ではあれども魔術的な性能の向上を計る大隊。その構成員達は運用上、魔法の使えないガレアン人ではなく、属州出身の素養がある人間達に限られる。
だが、彼らは帝国兵の前に属州民だった。専用のラボも与えられているが、それは実質彼らのためではなく彼らの上のために与えられたものだった。
「——それで、起きたらこうなってたんだよね」
寝床にうつ伏せのまま、こちらの上着を「良い匂いがするから」という理由で強請って奪い取りそのまま掛け布団にしている相手は、何でもないことであるかのように言った。
「ほら俺さ、眼が変わるでしょ、一時的に。それが気になったみたいで、治療するよりも取った方が有益なんじゃないかって思ったんだって」
「クソみてえ」
「言葉遣い言葉遣い」
右目を隠そうとしているのか髪を整えている緑頭は、特に何の感慨もないようだった。その裸の腕にはいくつもの傷痕がある。敵の矢や剣で裂かれたり、魔術で焼かれたものに混じって、今回のようにラボでつけられたものがあるということを、キンバリーは知っている。
だから最早、彼にとっては何でもないことになってしまっているのだろう。部下を守るためと彼は言っていた。大隊に所属している魔術師であれば誰であろうと、このような目に遭いかねない。だから部隊は均質化させて、自分だけが異質になり、ラボの注目を一手に引き受ければいいのだ、と。
煙草の灰を落としながら、その痛々しい傷跡が残っている右眼をちらりと見やる。
「見えねえのか」
「そりゃ見えないよ。ないからね。義眼入れるかって言われたけど断っちゃったし」
「なんでだよ。危ねえぞ」
通常の歩兵とは違い遠隔を主としているし、カバーするための人材もいるから、視野が狭まることはさほど重視していないのかもしれない。だが、日常ではあまりにも不便だろう。
「さっきも蹴躓いてただろ。どんくせえんだから、見えるようになるんなら入れりゃ良い」
「それはそうなんだけどさ、無骨なのしかなかったんだよ」
「そこ気にするとこか?」
「だって褒めてくれた眼じゃないし、なんかイヤで」
一瞬言われたことがよく解らなかった。褒める、何を、それは目なのは確かだが、一体誰に——と考えたところで、突然思い出した。
「うわ」
思い出した瞬間唇を寄せていた。一度始めたら何故か止まらず、持っていた煙草は乱暴に灰皿に押しつけ、肩にかけていたシャツが落ちるのも構わずに、戸惑う相手の目蓋に口づける。
「ちょ、わ、なんで」
「黙ってろ」
「ひゃ、ごめんなさ」
「いいから」
押しのけようとする相手の手を取りそのまま抑えつける。上着が下敷きになったが構わない。とにかくこの、処理しきれない大きさの感情を細切れにしないと気が済まなかった。
「もう一回だ」
「も、もう一回って、キンちゃんのそれ、俺の何回だと」
「知るか」
おどおどとした隻眼が、そして空っぽの眼窩がこちらを見上げる。
衝動の名前を知るよりも先に、彼は噛みつくように唇を塞いだ。