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隻眼の召喚士の話 モブ視点

 曰く、帝国には見えない「線」がある。
 属州民とガレアン人。軍人と一般人。ほか、さまざまな「線」が区分けとして存在するというのは、同盟軍であればよく知っていることだ。だが、それら意外にも、ある一部の領域の同盟軍には、また別の「線」があった。
 ——曰く、帝国には見えない「線」がある。
「……あー、あー、聞こえる? 大丈夫? 聞こえてるね」
 大地に刻まれたその「線」を越えると、見えてはならないものが見える。
 極寒の帝国にあるまじき灼熱。数年は陽光を浴びていなかったであろう大地が剥き出しになり、幾ばくもしないうちに乾いていく。
「あなた方は我らが帝国の領土を侵した。再三の警告も無視し、我々の友を焼き、穿ち、殺した。あなた方の蛮行は帝国軍として看過できない」
 乾いた土を踏みしめるのは帝国の軍靴ともうひとつ、炎を滲ませた異形の前脚。エオルゼアの蛮族文化、それもアマルジャ族に詳しい人間がいたら、その脚の主は彼らの崇める蛮神だとすぐに言い当てただろう。
 だが、言い当てたところで、目の前に立っている人間とその蛮神に抵抗など——ましてや討滅など、できなかっただろうが。
「よって我々は現時刻よりあなた方を撃滅する。投降するなら捕虜としての権利を保障しよう」
 じりじりという音は空気の焦げる音だ。爆ぜるのを今か今かと待ち受ける焔の獣に、傍らに立つ人間が指示を下す。ごくごく標準的なミッドランダーの男だ。右目は眼帯に覆われているが、左目は深い緑で、間近で空間を焦がしている蛮神とは対照的に静かな森のような色を湛えて正面の敵を見据えていた。
「——こちらに聞こえればの話だけどね。第一中隊、詠唱はじめ」
 蛮神が、イフリートが、緩やかな手の動きに従って矢のように飛び出した。続け様に背後から、鮮やかな色を纏った魔術が蛮神に従うように乱れ飛ぶ。魔術に関しては詳しくはないが、恐ろしく統制が取れていること、そして相対した者たち——同盟軍の兵士達が、爪や焔、そして魔術を凌ぎきれずに薙ぎ払われていくのだけは解った。
「第二中隊、詠唱はじめ」
「怯むな! 所詮は帝国のニワカ魔導師だ! 古より魔法と供に在る我々に比べれば」
 威勢の良い指揮官の声は途中で汚い悲鳴になった。きっと暴れ狂う蛮神に喰われたのだろう。
「第三中隊、詠唱はじめ。着弾と同時、接近戦用意。いつもどおり確実に仕事をしろ」
 了解、と方々から声が上がった。規則的だった炸裂音の間隔がどんどん不規則なものになっていく。しかしその不規則さは劣勢を示すものではない。すぐ近くの枝が焦げたが、声を出さないようにじっと身を潜める。
 とある地域、帝国領のある一帯。小競り合いの起こりやすい国境間際で、見えない「線」を踏み越えてしまった者達に、やがて見えるようになるもの。蛮神、蛮族、そしてガレアンの民を北の果てへと追いやったエオルゼアの民から帝国を守る兵の中に存在する、異端のものどもから成る大隊。
 四六魔導大隊隊長。■■■■中尉。緑の隻眼と呼ばれる属州出身の召喚士が彼の標的だった。ここを突き崩せば帝国を崩す足がかりができる。陽動を噛ませての暗殺が本当の目的だった。
 戦場の喧噪がひときわ大きくなる。標的の傍らに控えていたルガディン族の斧術士の意識が逸れ、召喚士の視線も僅かにずれて死角になった。
(今)
 枝から音も無く落ちる。平面の戦闘にあたって人間が最もおろそかになるのは上だ。
「っ」
 しかし寸前で気付かれた。身体の軸がずれ、狙っていた首筋からは刃先が外れる。だが、全体重が乗った刃は深々と肩口へ突き刺さる。
「ッあ——」
「隊長!!」
 腹に重たい一撃が入った。そのままごろごろと転がり抑え込まれる。
 抑え込まれた視界では、ルガディンの兵士に抱えられながら頬や首、そしてコートを真っ赤に染めた召喚士が見えた。あの様子ではきっと肺まで到達している。おそらくは遠からず失血して死ぬだろう。たとえ自分が命を落としても目的は達成される。
 これでいい。これで終わり——
「——これ、で、おわり、と、おもった?」
 息が詰まる音がした。召喚士の今際の呼吸とも思ったがそれは違った。自分の喉が干上がる音だった。
 召喚士は血を吐きながら笑っていた。心臓の動きに合わせて断続的に噴き出す血が周囲を濡らしていく。だが、その赤黒い液体はやがて焔を帯びた煌めきに変わり、やがてそれはあるものを形作る。
 鳳凰だ、と呟いた矢先、召喚士の身体から生み出された翼は曇天に大きく広がった。優しく、そして力強い爆煙が曇天を塗り替える。
「っ、はー、はっ、ほうおう、鳳凰か、確か東方ではそう言うんだったか」
「隊長」
「問題ない。続行」
「了解しました」
 部下の腕から降ろされた召喚士はゆっくりと自分の足で立ち上がる。
「あー、いたい、痛かった。痛いのは嫌だな、ほんとうに」
「どうして」
「どうして? 何に対して? 聞いてなんになる? 召喚士だったらこれくらいは当然だろう」
 いつのまにか周囲は静かになっていた。縦横無尽に飛び回っていた深紅の鳥も消え去っている。雪を踏みしめ終結する足音は、明らかに同盟軍のものではない。
「第一中隊、第二中隊、第三中隊すべて完了しました。ロストなし、軽傷三です」
「重傷は俺だけか」
「治ってますでしょ」
「まあね。捕虜は?」
「尽力しましたが」
「結構強かったものな。じゃあ彼にしよう。今回の本命みたいだし」
 人外を従える足音がゆっくりと近づいてくる。ゆっくりと屈み込んできたのはやはり、どこにでもいそうなミッドランダーの青年だ。ただ、その片目だけが沼のように深く昏い。
「君には捕虜として来てもらう。さっきも言ったとおり、捕虜としての権利は保障しよう」
「この、ばけもんめ」
「だから召喚士なら当然だろうって……まあいいや、連れてって」
「了解」
「隊長、念のため治療師を」
「あとでいい」
 溜め息交じりの部下に促され、緑色の視線が外される。
 眼帯の下に見える赤い刺青を最後に、辛うじて見えていた視界が真っ暗になった。

***

「——お? おー、遅かったな」
 煤けてはいるがこざっぱりとした空間に、その男は座っていた。挨拶に軽く手を挙げて返すと、重たい足を引きずってすっかり定位置になった隣に座る。
「ちょっとハードな残業がね」
「ふーん」
「あー興味なさそうな顔してる」
「そりゃあんま興味ねえもん。話してえなら聞くけどさ」
 注文するでもなくすぐに渡されるグラスに口をつける。冷えた身体を温めるには丁度いい。
「……あんま話したくないかなあ、痛かったし」
「あ? 怪我したのか」
「もう治ってまーす」
「腹立つあとで覚悟しとけ」
「何覚悟するのよ」
 くだらない話をしながらナッツをつまみ、腹ごしらえにと適当に料理を注文する。おうよ任せなという威勢のいい返事とともに、焼けた鉄板で肉が焼かれる音が耳と一緒に腹も刺激し、一気に空腹感が襲ってきた。
「ああーお腹空いた」
「メシは?」
「忙しくて食べそびれた」
 何より戦場からとんぼ返りして治療を終えたその足で着替えてきたのだ、晩ご飯や休憩が挟まる余裕も無かった。だが、それを言うとまた隣に座っている男は嫌な顔をするのだろう。
「店長のごはん楽しみだなーおいしいもんなあー」
「お? お? じゃあ裏メニュー出すか?」
「えっいいの? やったあ」
 ぱちぱち、と脂肪が爆ぜる音が、あの場所に被る。だが長居させずに頭の中から振り払うと、もう一口酒を呷った。

三度の飯が好き

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