少甲佐とちょっとした事故のはなし 続くかもしれない
扉をこじ開けて灯りを持ち上げ、まず目に入ったのは投げ出された両足だった。辿るように灯りをかかげると、やがて棚の間、散らばった本の間に力なく倒れている全身が目に入る。
「隊長!」
一緒に来ていたルガディンの隊員が慌てて駆け寄っていった。その大柄な身体に続いて中に入ると、倒れた身体に屈み込む。
血色は悪い。が、息はしている。周りの状況からして棚や周りのものに手をかけずるずると倒れていったのだろう、頭を打っている様子はない。
「隊長、いったい——」
「気を失ってるだけみたいだね。君ちょっと手伝って」
ここから近い僕の部屋に運ぼう、と隊員に伝える。疑問はあるようだったが、上官の命令にはしっかり従う性分の彼は素早く倒れた身体を抱え上げてくれた。そのまま先導し、一番近い自分の執務室へ運んでもらう。
昼間出てきている人間はすでに帰っている時間だからか、誰ともすれ違わずに済んだことに安堵しながら、応接用のソファーに寝かせるように指示を出す。
「あとはいいよ、僕が見ておこう。気づかなかった僕の責任だし」
不安げな隊員を帰して、風邪を引かないようにと自分の上着をその身体にかけてやる。あとは目を覚ますまで待つだけだ。
——そう、何もかも自分のせいだった。
照明器具の発注書にペンを走らせながら、思わず上がってしまう口角を隠す。資料庫の照明が切れかけているのを知っていた上で彼を送り出した。探らせていた彼の過去から、暗がり、かつ密室という場所に突然放り込まれた彼がどのような反応をするのか見たかったのだ。
それがこうも好ましい方向に転がるとは。
仕上げてしまった申請書を丁寧に仕舞うと、未だ寝返りも打たずにただ横たわっている青い顔を見遣る。あの時のやり直し——は準備もなにもできていないからやめておくが、この機会をみすみす逃すつもりはない。
考えるついでに残っていた仕事も片付けてしまおうと、机の上にちゃっかり置かれていた書類の小山から適当に捲っていく。三分の一ほど目を通したところで、もぞ、という衣擦れの音が聞こえた。
「——ッ」
「おや」
視線を上げるのと、ソファーに寝かされていた彼が飛び起きたのはほぼ同時だった。
「大丈夫?」
「……あ、……え、はい……」
上着を跳ね飛ばさんばかりの勢いで起きた彼の顔は相変わらず青いが、パニックになるような様子はない。
「君ね、倒れたの」
「どこで」
「地下の資料庫。お遣い頼んだでしょ」
「……」
しばらく視線が泳いで、やがて伏せられた。思い出せたらしい。
「……お手数をおかけしました」
「いーや? 謝るのはどっちかっていうと僕の方だよ。器具の不具合申告するのが遅れちゃっててね。すまなかった」
「少甲佐どのが謝られるようなことでは」
「じゃあ君も謝るようなことじゃないよ。ね」
「……はい」
「良い子だ」
すみませんと言いかけたらしい口が止まり、小さく「ありがとうございます」と零したのが聞こえた。そしてようやく自分にかけられた上着に気付いたのか、慌てて埃を払って畳む。
「今何時ですか」
「八時を回る前かな」
「帰らないと」
彼は礼もほどほどに忙しなく立ち上がると、失礼します、と扉に手をかける。
「ついていようか」
だが、一言差し込んだだけでその手はピタリと止まった。
「……」
「深くは知らないけど、無理はしない方がいいよ」
「……猫にご飯をあげないといけないので」
「ご飯をあげたら戻っておいで。その頃には僕の仕事も終わってるから」
「……失礼します」
ぎ、と蝶番が重たい音を響かせた。赤と黒のコートが扉の向こうに消えて、足音もすぐに遮られる。
(これはどっちかなあ……)
手応えはあったように思うが、ここで深追いしたら不自然だろうと止まっていたペンを再び動かす。
同居人は不在と聞いているし、あの経験から察するに夜一人でいるのは辛いはずだ。実績のある冒険者といえど、心の一番脆いところを突かれれば、優しい顔を見せる他人に縋りたくもなるだろう。
(そこでお友達の方に行かれたら困っちゃうけど!)
苦笑しながらも、ひとつ、またひとつと副官の置き土産を片付けてゆく。ある種の賭け事に近い高揚感を味わいながら、さらさらとサインを書き込んで、今か今かと待ちわびる。
じじ、とろうそくの芯が焦げた。
最後の一枚を手に取り、ペン先をインク壺に差し入れる。
そして、控えめなノックの音に顔を上げ——今度こそ口角を上げた。
「——ああ、お帰り」