自機+よそのこ(ハイランシルヴァくん)
出会ったときの話
やばい、完全にやばい。たいへん危ない。
きっと肉食獣に食われる獲物はこんな感じなんだろうという根拠のない確証が頭の中に出てくる程度には危ない。いやもしかしたら蟻地獄か何かかもしれない、何しろ起こそうとしたらヌッと出てきた両腕に掴まれてベッドの中に引きずり込まれたのだから。それだけならまだよかった、足を引っ掛けて転んだとか泳いでいたら海藻に足を取られたとかその程度だ。
「ん、んっ、……ふ」
食われかけていた。無論そっちの意味で。
引きずり込まれた先で待っていた男はいつの間にやらその気になっていたのか、自分の二倍はあろうかという腕でしっかりと抱え込みながら執拗に唇を重ねてくる。それとなく顔を背けても丁寧に顎を捕まえてくるし、もう片方の手はというときっちり身動きが取れないようにしながらも服の下を弄ってくるもんだからたちがわるい。
「っちょ、まって、まってって」
「なんで?」
「なんっ」
それにしたって手慣れている。そして上手い。思わず流されそうになるのをなんとか踏みとどまりながら藻掻いているけれども、そもそもさっき抱き込まれて気付いたがこの男は筋肉の塊のようなものだった。つまり冒険者業でそれなりに力がついた自分でも抵抗すらできない力で封じてくる。花壇で寝落ちしていたこの男を見かねて家に入れてやったときから結構体格が良いなあとは思っていたが、中身もしっかり伴っていたとは誤算だった。
「結構乗り気でしょ」
きっと最初、いつもの男達にするようについつい反射で応えてしまったせいで「いける」と思われたのだろう。それはほぼ確実だ。こればっかりは自分が悪いが、それにしたってこの「いける」と判断したあとの加速は何なんだろうか。
しかもさっきの通りやたらと上手い。やっていること自体はちょっといやかなり強引だが、それでもこちらの身体を痛めてくるような力の入れ方ではないのが憎たらしい。もし普通に酒場で出会っていたら、まず間違いなくこちらからしばらくそういうお付き合いでもしないかと持ちかけていただろう。
「んぁ」
だが呑気に考える暇はなかった。後ろに回った大きな手が尻の肉を押し分けてまさぐり始めたからだ。つぷりと中に入ってくる感覚についつい喉に押し込めていた声が出てしまい、のしかかっている気配が少し笑った。
「お、兄さんはこっちか」
なんだそれどんな確認方法だまずは聞け、なんて文句を言おうものならその隙を突いて口の中に舌が滑り込んできた。さっきまでの触れるようなそれとは正反対の、明確な意思を持った侵入に呼吸も思考も持って行かれそうになる。
このままだと、せっかく心と体をただ休めるための家でそういうことをしてしまいかねない。だが腕力での抵抗なんてできないし、かといって魔道書なんて枕元に置いていないから相棒を喚び出すことすらままならない。
——だが、いよいよもって抵抗を諦めかけたその寸前、天の助けが割り込んできた。
室内に響くのは冒険者であれば誰もが聞いた音だ。は、と我に返って手を傍らの棚の上に伸ばす。それすらも絡め取ろうとしてきた男の腕をなんとか払って、定位置に置いていたリンクパールを取ると耳に当てた。
「っ、なに、だれ」
『あっとぉ……』
声の主は懇意にしている酒場の店主だった。
『取り込み中か? 朝からお盛んだなぁ』
「ちがう」
何かを察したのか気まずそうな言葉に、食い気味で否定を重ねる。途端に覆い被さっている男の眉が少し寄った。
「取り込み中だって言ってよ」
「あんたは黙ってろ」
何せ食い扶持の話かもしれないのだ。それにこの状況をなんとかできる唯一の打開策かもしれないから、切るつもりは勿論なかった。一歩間違えたらえらいことにはなりそうだが。
「この時間ってことは依頼の話?」
律儀に黙りはしているものの、またこちらの身体を弄り始めた男になんとか抵抗しながら、声だけでも努めて冷静に保ち先を促す。
『そう。お前さん向きじゃないかもしれんが一応な。声を取っちまう魔物が出たんだと』
「あー」
それは確かに自分向きではない。キャスターが声を取られたらそれこそ本で殴り飛ばすぐらいしか能がなくなるからだ。
『だれか力自慢いねえか』
「んー」
なるほど力自慢、力自慢なら丁度何人か——と答えかけたところではたと気付いた。ちょっと待ってと言い置いてパールを持ったまま、未だしがみついて離れない男の二の腕を掴む。船乗りや海賊とはまた違った、重たく引き締まった腕だ。
「おっなに? いきなり積極的に――」
「あんただいぶ筋肉あるな」
「あっうん鍛えてるからね」
「戦闘は? できる?」
「それなりには。興味ある?」
「よし」
決めた。
再びパールを耳に当てると、「一人見つけたから連れていく」と言い切り通話を切った。
「えっなに?」
「仕事だ。屋根貸してやったんだからその分働け」
「は? いや続きは?」
「いいからさっさと顔洗って服着てこい」
隙を突いて腹を蹴り上げる。恐ろしく硬い手応えだったが、それでも相手の虚を突くには十分だった。僅かに浮いた身体の下からなんとか這い出ると、急いでクローゼットに向かって自分の服とタオルを引っ張り出し、未だ状況が飲み込めていない男にタオルを放った。
「とりあえず全部後回しだ。晩飯食いたかったら手伝え」
「それはお誘い」
「つべこべ言うなほら急げ」
男の顔がしょっぱくなった。しかし反論はないようで、脱ぎ散らかしていた服を拾い集め始める。
あわよくばこの後綺麗に発散してほしい、なんなら適当な相手を見つけてすっきりおさらばしたい。ついでに金も稼げれば一石二鳥。
我ながら完璧な計画だと内心頷きながら、装束を着て本を腰に提げると、「先外出てるからな」とパーティションの向こうの気配に声を投げた。