ぱ、と目が覚めた。
部屋の明るさ、空気の匂い、そして腕の中の気配から夜明け前と判断し、抱き枕代わりにしていた体温をそっと離す。ゆっくり静かに身体を起こして、足下で寝ていた仔猫の寝ぼけ眼に挨拶すると、足下に置いてあるスリッパは履かず裸足で階段を下りていく。
下りきったところで後ろを振り返り、抱き枕もとい家主が寝たままであることを確認すると、シルヴァは足音を忍ばせたまま風呂場へ向かった。洗面台に無造作に置いてある鋏を手に取り地下に下りていくと、とろとろと火が揺れる暖炉の前に腰掛けた。
「…………」
溜め息を一つついたあと、感慨も何もなく、鋏の刃を開いて、閉じる。その繰り返しで、胡座の間に敷いた布へぱらぱらと金色の髪が散った。
髪が異常に伸びるようになったのはつい最近のことだ。原因は見当がついているし、どうしようもないことであるというのもわかっている。結果、新たな日課として毎朝誰かに会う前にこうやって髪を切ることと、切った髪を見つからないように処分することが加わった。おかげで寝起きが良くなったのと、髪を切るときのコツがわかりかけてきたのはある意味収穫だ。
昨日はだいたいこのあたりだったよな、というところまで切りそろえたあと、散らばった髪を綺麗に包んで暖炉に放り込んだ。シルヴァの髪を飲み込んだ炎は一瞬だけ強まった後、また静かにもとのとろ火へと戻っていく。
原初世界に戻ってみたら少しは収まるかと思ったが、自分の身体が起因になっているのだからそうならなくて当然だ。いっそどこまで伸びるのか試してみたい気持ちすらある——が、少し前にユールモアで見かけた金髪の罪喰いが脳裏をよぎって考えるのを止めた。
服についた髪を念入りに払ってかき集め、また暖炉に放り込む。微かに鼻につく臭いも煙突へ吸い込まれ、自分の服も綺麗になったことを確認すると、髪をまとめ直しながら静かに階段を上がった。鋏をあった場所に戻し、そろりそろりとロフトへ戻る。
ベッドの上の人間は下りたときと変わらない格好をしていた。唯一仔猫だけは頭のあたりに移動していたが、見事なとぐろを枕のそばで巻いている。夢の中の一人と一匹を起こさないように寝台に乗り、再び抱き枕として家主を抱え込んだ。
「——といれ?」
だがそれで起きてしまったらしい。夢の中に片方足を突っ込んだまままの舌っ足らずな声が、相手の背中越しに聞こえてきた。
「そう」
シルヴァは短く肯定した。本当のことを言っても何にもならないだろうし、心配させるのも(本当にするかどうかはわからないが)本意ではない。
「……おかね」
放っておけばこのまま寝るだろうと思ったが、その予想に反して腕の中の抱き枕は再び何かを言い出した。脈絡のない言葉だったから、片足だけではなく両足まるごと夢の中に突っ込んでいるのかと思いきや、もぞもぞと緩慢な動きで寝返りを打った彼の瞳は、眠たそうだがしっかりとシルヴァを見ている。
「お金?」
「あまってた……」
「あーうん、お菓子には多かったから」
昼間のことを言っているのだろう。確かに半分しか使わずそのままにしていた。
眠たげな双眸がゆっくりと瞬きをする。
「たりた……?」
「足りた、足りた。あすこの安くて美味しいやつ買ったから。と言うかお前もお菓子食べたでしょ」
「たべた」
「うん」
だから気にしなくていいの、と自分に比べたらやや小ぶりな頭を撫でる。心地良いのか嫌がっているのか、そのどちらともとれない「んー」という声がした。そろそろまた寝入りそうだ。
「おかし……」
「お菓子?」
だが予想に反してぼそぼそと言葉が続いた。いよいよ寝言なのだろうか、もう目が半分以上閉じてしまっている。それならそれで面白そうだからもうちょっと見ておこうと見守っていたら、少し不安になるくらいの時間を置いて、また口がもごもごと動いた。
「つくったから」
もってって、という言葉を最後に、ふぅー、という長めの吐息が聞こえた。今度こそ寝てしまったようで、話し声に反応してわざわざ間に潜り込んできた仔猫に理不尽に押しのけられても全く起きる様子がない。
「……はぁ」
シルヴァはまた溜め息を吐いた。確かに明日——いや今日か、仕事に戻るからしばらく帰れなくなるかもと言っておいたけれども、こういうことをされるとなんとも調子が狂う。散髪代といい菓子といい、確かに貰っていたことはあったけれども、いつになく喉に引っかかる感じがある。仔猫だってそうだ、いつもなら足下とか、ソファーの上で丸くなっているのに、今日に限ってここにいる。
これがもしかして、後ろ髪を引かれるとかそういうやつなんだろうか。
自分にはあまり縁のないもののはずだったのになあと近くにきた毛玉を見遣ったら、ぷるる、というご機嫌そうな返事が額にぶつかってきた。
髪を切る
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