こんなことならもうすこし、周りの言うことを聞いておくべきだったかもしれない。
「特に狩りの方法とか家畜の宥め方とか」
「今そういうこと言う?」
「だってそうだろうよ」
まあねえ、と溜息をついたララフェルは先程から思案顔だ。彼女の頭のそばに浮いている妖精もまた、飼い主と同じようなポーズで悩んでいる。本当に悩んでいるのか、それともそういったフリをして遊んでいるのかは正直見分けがつかないものの、その表情は一応真剣だ。きっとちゃんと考えてくれているんだろうと思うことにして、自分もまた一人と一匹が見つめる方に視線をやった。
——ヒューラン族の青年、そして歳がよく解らない顔立ちは恐らくミッドランダーだろう。ハイランダーならもう少し年嵩の、岩石めいた面立ちになるからだ。ララフェルが轢いて拾ってきた、右頬に傷のある濃緑の髪の彼は昨日までとは違い起きて動いていたが、その動きが問題だった。
「……ッッ、ふーっ、……フーッ……!!」
まるで威嚇する獣だ、と思った。足はまだ立たないのかベッドサイドの床にへたりこみ、リムサの宿屋特有の大きな窓に縋りついてがりがりと引っ掻きながらも、こちらを警戒することはやめない。髪色と同じ濃い色の瞳にありありと浮かんでいるのは恐怖そのもので、忙しない呼吸だけで声すら出せていない様子は、どこからどう見ても怯えきった動物と言った方が近かった。
「言葉は?」
「わかんない、起きてからずっとコレ。しゃべってない」
「話せないのか」
「めちゃくちゃビビった時って声出なくなんない?」
「つまりどっちかわからないと」
顎に手をやった途端、再び青年が窓をひっかいた。立とうとしているのか、身長のわりにはやけに骨張った細い足が床を蹴るがやはりうまくいかないようで、身体を持ち上げることすらできていない。
「……窓大丈夫か?」
「ちゃんと障壁で保護した」
「抜け目がない」
「あんなおっきな窓壊れたらお財布さむさむになっちゃうからね」
「なるかよ。お前にとっては微々たるもんだろう」
はぁー、と溜息を一つ零して、よっこらせと床に座る。目線を同じ高さにした方が怯えなくて良いかもしれないと思ったからだ。
「言葉はわかるか」
返事はなかった。フーッ、フーッ、という吐息だけだ。理解しているかどうかの反応もない。
「しょうがない。落ち着くまで待とう」
「落ち着くのかって問題もあるけど」
「何もしなけりゃそのうち理解する」
少なくとも何らかの暴力を振るわれたことは昨日の所見で解っている。それなら、こちらがそういった人間ではないと理解させてやれば少しは変わる——かもしれない。
そう説明したら、隣に立っていたララフェルは「うん」と頷いてくれた。
「それもそうね」
「よし。じゃあご飯よろしく」
「はあ?」
「俺の分じゃない、彼のぶん。できれば粥とかがいい」
「そりゃわかるんだけどさあ、強面のお兄さんがここに残るより可愛いララフェルが残った方が良くない?」
「万一彼が逃げようとしたときにお前が抑えたら打撲どころじゃ済まない」
「はあー?? 後でおぼえてなよ」
でも行ってはくれるらしい。小さな足音が遠ざかり、ばたん、と扉が閉まる。その音すら怖いのか、ミッドランダーの青年の身体がびくんと縮こまった。
「これは骨が折れそうだ」
はぁー、という本日二度目の溜息に、がりがりとひっかく音が被った。