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なんかあって怪我してなんかあってスイッチ踏まれたっぽい自機+ドライに迎えに来たけど何があったか気になりはしているネキ
知り合ってほんと間もない頃

 狩りをするときは獲物になりきること。
 レジーがその教訓を習ったのは、初めて兄たちと狩りにでた日のことだった。ずいぶん前だから、どんな話をしたのか、などという細かいことはうっすらとしか覚えていないものの、その教えだけは狩猟を離れた今でも身体に根付いている。
 人から聞いた話をもとにあたりをつけながらゆっくりと周辺を歩き回り、逃げ込みそうな場所を探す。自分だったらどこに行くだろうか、とぐるりと視点を巡らせて、目に留まったところへ足を向ける。その繰り返しを二度ほどして、奥まったところにある廃屋に足を踏み入れたところで、「ひ」と息をのむ音が鼓膜を震わせた。
「ああ、ここにいたのか」
 家具が散乱して埃っぽい家の隅、ふるぼけた暖炉と柱の間に、目的の「獲物」は――ブランケットの塊は縮こまっていた。いつもよりもずっとずっと小さくなってしまっている塊にゆっくりと近づくと、少し離れた場所に膝をつく。
「皆から聞いたよ」
「……」
 布の塊は答えない。ただ壁とブランケットの隙間から覗く深緑がわずかに動いたのは見えた。こちらの声は聞こえているらしいと判断したレジーは、実力行使はひとまず脇に置いておき、出来る限り穏便にすますことにした。
「キミと話しに来た」
「……は、なし」
「そう。もう少し近くにいっても良いかな」
 ほんのわずかに声が聞こえたが、それ以上は答えない。しかし嫌がりもしない。逃げ出した山羊にそうするように、ほんの少しずつ、静かに距離を詰める。気配を感じたのか、ブランケットから覗いていた裸の足がきゅっと引っ込められたが、それでも暴れたり抵抗したりというのはなかった。
 逃げ道になりそうなところを自分の身体でさりげなく塞ぎながら、彼女はできるだけ穏やかに続けた。
「ここまで裸足で逃げてきたのか。大変だったろうに」
「……」
「怪我がないか見せてくれないか」
「……」
「嫌?」
 ふるふると振られた首は持ち上げられることはなかった。だが、言葉は通じている。人が沢山いるところから離れられたせいか、皆から聞いた話よりはだいぶましになっているようだ。
「なぜ?」
 こちらからは手を触れず、そして近づきこそすれ一定以上は踏み込まず、レジーは粘り強く尋ねた。狩りは忍耐だ。ごくごく一部の希有な人間以外は、機を待って耐えるのが一番の近道である。
 こちらからは動かないという意志が伝わったのか、しばらくして布の塊から、ようやく意味のある言葉が聞こえてきた。
「……いたいことするだろ」
「そんなことはしない。絶対に」
 内容はいささか予想外なものだったが、それでもペースを崩さないように淡々と続ける。
「私はキミを傷つけるようなことはしない」
 わずかに頭が動いた。埋もれていた毛布からほんの少しだけ深い色の瞳が覗く。焦点は合っている、だが明らかにどんよりと濁っている。普段の、夏の深い森のような色ではなく、ぐずぐずに濁った沼のような色に見えた。
「……あんたは、いつも、そういう」
「わたしが? いつも?」
「いつも、いつも、そう言って、僕に痛いことする」
 レジーの眉が僅かに寄った。内容もそうだが、彼からは聞いたことがない言葉遣いだ。知り合って間もないが、きっと他の知人達も同じことを考えるだろう。
 目を覚ましたら突然怯えて逃げ出したと聞いていたから、最初は怪我人によくあるそれかと思っていたのだが、少し違うのかもしれない。レジーのことを誰かと勘違いしているのだろうか。
「しないよ」
「うそ」
「嘘はつかない。苦手でね」
「…………」
 ぱち、と瞬きが一つ。
 それで濁っていた瞳から、ほんのわずかに警戒の色が取れたのがわかった。
「キミにひどいことはしない。約束する」
 あと少しだ。レジーの勘がそう耳元で告げた。
 ――焦ってはならない。気取られてはならない。相手は生き物だ、その両目がこちらを見ている。意思を持つ視線であることを忘れるな。そう教えてくれたのは一番上の兄だったか。
「怪我がないか見て、私と一緒に暖かいところに行くだけだ。行くのも嫌なら、無理に連れて行くこともしない」
「……」
 ほんのわずかに顔が上がった。ブランケットに隠されていた口が少しだけ見えたと思ったら、戦慄くように震えると音を形作る。
「……わかった」
「うん、ありがとう。もう少しだけ近くに行ってもいいかな」
 こくん、と小さく頷いたのを確認して、ごく目の前まで近づく。じゃあ見るよと一言断って、フランケットに覆われている彼の腕を下からそっと持ち上げるようにし、ゆっくりとのけた。
「っ」
 わずかに息を呑む音が聞こえたが、それだけだった。顔を見たら、視線を合わせないようにはしているが、最初の時のような怯えは見えない。振り払うまでいかないところも見ると、嫌は嫌だが我慢はできるといった程度までは持ち込めたようだ。
 ブランケットの下にはほとんどなにも着ていなかった。本当にそのまま飛び出してきてしまったのだろう、下着と腹に貼られた湿布程度だ。
 レジーは不必要に触らなかった。ただざっと見て、大きな傷がないか確認する。気になったのは裸足で走ったせいでできた足の切り傷だけだったが、これは治癒魔法ですぐに治せるはずだ。
「大丈夫そうだ。痛いのは足だけ?」
「……」
「わかった。それなら私が運ぼう。ゆっくりでいいから、こっちにおいで。嫌だったら来なくて良いから」
 こちらから手を引っ張ることはせずに、相手から近づいてくるのを待つ。彼はしばらく黙っていたが、やがてず、ず、と控え目に寄ってきた。
 恐る恐る寄り添ってきた身体を腕の中に迎え入れ、そのまま手を回しブランケットごと抱きしめる。気の立っている家畜にそうするように、相手と呼吸を合わせながら強張っている背中をゆっくりと撫でてやると、段々と力が抜けていくのがわかった。すっかり落ち着いたところで、レジーはポーチに入れていたハンカチを取り出す。
「少し拭こうか」
 目尻から頬、そして口元と、目についた汚れを優しく拭き取っていく。すると、それまでちらちらとこちらを伺っていた目が、突然とろんと閉じられた。
「おっと?」
 ガクンと脱力した体を支えなおす。そして、手に持ったままだったハンカチを見た。わずかに漂ってくるハーブの香りに、ああなるほどと納得する。練り込まれたこの香りのおかげで緊張が解けて、一気に疲労に負けてしまったのだろう。グリダニアで買った後、ついついそのまま入れっぱなしにしていたが、これはこれで何かと使えるかもしれない。
 念の為呼吸が深くなっていることを確認すると、ルガディンに比べたら随分小柄な体をよっこいしょと抱え上げた。腕の中の身体は身じろぎ一つせず、深く寝入っている。
 ——気になることは多々あるが、まだ知り合ったばかりの他人だ。踏み込むようなことではないし、こちらから言うことでもない。
 そう自分に言い聞かせると、山岳の女は獲物を抱えたまま、夕闇の気配が近づく道へ足を向けた。

三度の飯が好き

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