モブ+モブ+自機+よそのこ+ご都合主義
(おのさんいつもありがとうございますごめんなのエモート)
しなびた緑のウミウシがそこにいた。
「もう飲んだの?」
「……飲んでない」
「飲んでないのにそんなしなびてんの? 大丈夫?」
夜に比べたら少しばかり静かな、海の都の酒場。そのカウンターの一角に、深緑の頭が突っ伏していた。
海賊でもなく漁師でもない、冒険者という肩書きのそのウミウシは、よそから働きに来たばかりの自分にとってだいぶ話しやすい部類に属する人間だったが、弱い癖に酒が大好きという悲しい性のせいで、こういう風に会話ができない状態になっていることがまれにある。
だが、今回はどうも違うらしい。確かに目の前に置いてあるグラスはただのドマ茶だ。
「ついに飲めなくなった?」
「止められたんだと」
話に割って入ったのは、先程まで豪快に皿を洗っていた雇い主、もとい店長だった。
「こいつ飲むとダメになるだろ」
「ダメって何だよ」
「ダメになるっすね」
「こら」
「そんで、ここんとこダメになるのが続いたからってんで、同居人にしばらく飲むなって言われたんだとよ」
「あーね」
時折回収しに来ていたエレゼン族の初老を思い出す。家はウルダハだと言っていたから、転移魔法をするにしてもそれなりに手間だろう。なにより酔っ払った人間は重たいし面倒くさい。ひょいひょいと担いでいくあたり重さは関係なさそうだったが、面倒くささに関しては別だ。
ようやく顔を上げ人間に戻ったウミウシは、それでも未だにやたらとしょっぱい顔でぼそぼそと言った。
「このまえ広場のベンチで寝てて……」
「あすこの?」
「よく盗られなかったな」
「寝てる間に雨降ってだいぶしっかりめに風邪引いて……」
「あー」
「大変叱られて一ヶ月飲むなって言われた……」
そりゃあそうだ、と思わず店長と視線を合わせた。冒険者は身体が資本だ。そもそも外に出られないなら金が稼げないし、更にしっかりめの風邪となると同居人も出られなくなっただろう。禁酒を言い渡されるのは当然とも言える。
「でもここには来るんだ?」
「せめて空気だけでも味わいたい」
「お前その空気で酔うんじゃねえか? 大丈夫か?」
「俺をなんだと思ってるんだよ」
「下戸」
「雑魚肝臓」
「うるせ」
彼はカウンターの上のグラスを持ち上げるとちみちみ口をつける。せめてそれっぽい色のものをと思っているのだろうか。
その様子があまりにも哀れに見えたのか、最後の皿を拭き上げた店長は棚につっこんでしまうと、「そんなに飲みてえのか」と身体を屈めた。すると、酒場に似つかわしくないしみったれた顔をしていた彼は、唇をとがらせたまま答える。
「そうでなかったら来ねえよ。ここの酒美味いし。酒以外の飲み物も好き」
「ほぉー」
「まんざらでもなさそうな顔すね店長」
「飯も美味いし客もまあまあ」
「褒めても何も出ねえぞ」
「まんざらでもなさそうな顔すね店長?」
「店長もそれなりに好き」
「そんならお前にいいことを教えてやろうじゃねえか」
やっぱりまんざらでもなかったようだ。
店長はその巨体をカウンターの下に一瞬だけ潜り込ませたと思ったら、何やら一つの封筒を出してきた。
「ここに依頼がある」
「嫌だ」
「まあそう言わずによ、話だけも聞いてくれや。っつうか依頼蹴るってそれでも冒険者か?」
「人の弱みにつけ込んで依頼してくる奴はだめだってじいさんが言ってた」
だが話は聞くらしい。
自分も気になってしまって、ついつい隣の椅子に腰掛けた。
「エーデルワイス商会からだ。とりあえず開けてみろ」
「……なんだこれ。古い札?」
「ここ最近ウルダハの好事家どもが熱を上げてる、昔の国の貨幣だそうだ。一枚だいたい二万から三万」
ひく、と札を持つ手が震えたのが見えた。同時に自分の喉もヒャッと干上がったしなんなら尻尾の毛も逆立った。
「なんてもん出してんすか店長!」
「そんなもん持たせるなよいきなり!」
押し込めた怒声が見事に被る。だが、店長は何食わぬ顔で「まあ聞け」と続けた。
「で、ここにもう一つ封筒がある」
「は」
「まさか」
店長の太い指が、さらにもう一枚、いやもう二枚、古びた紙幣をその封筒から出した。いやなにやってんすかさっさと仕舞えとわたわたするも、岩石で構成されているような店長は、彫りの深い顔をニヤと歪めて一言言った。
「偽物だ」
「なんだよ」
「びっくりさせんでくださいよ」
「おっと全部が偽物じゃねえぞ。こっちのどっちか一枚が偽物。お前の持ってるそっちは本物だ」
またもひっそりとした罵声が飛んだ。だが、隣で文句を言いながらもおそるおそる紙幣を封筒に戻していた彼は、ふとその手を止めて「待てよ」と呟く。何かひらめいたらしい。
「あすこの商会からの話で、どっちかが偽物ってことは」
「察しが良いじゃねえか。鑑定しろ、もしくは鑑定できる人間を探せって依頼。……お前紙モン得意だろ、な?」
お前が来るまでアテが無かったんだよと店長の表情筋がちょっとだけ緩んだ。だが、対する彼の方は渋い顔のままだ。
「それ俺に見ろって言ってるか? 嫌だよ、こんな間違えたらイエロージャケットとウルダハの界隈が場外乱闘しそうな依頼は」
「ちょろっと見て、そういう系に強いヤツ紹介してくれるんでもいいからよ」
「めんどくさ」
「乗ってくれたらナイショで酒飲ましてやる。アフターケア付きだ」
「乗った」
最後まで言わないうちに食いついた。今までまるでやる気の無かった表情が一気に明るくなり、死んだ魚の目だったその瞳に光が宿る。こんなに真っ直ぐな顔もできるのかと感心する傍らで、彼はウキウキとその封筒に手を伸ばす。
だが、封筒を受け取った直後彼の手が止まった。止めたのは、その肩に軽く乗せられた手だ。
「楽しそうなことをしているじゃあないか、ん?」
「実際楽しいから邪魔しないでく、れま、……せんかね……?」
振り返った彼の頬に、ぴんと伸ばされた人差し指がむにっと埋まる。割とお茶目な手の主は、穏やかに笑う初老の紳士だった。
***
詳細は省くが、再び緑色のウミウシになった。
「なんで……なんで俺だけ……話持ってきたのそこの……そこの……」
「最初蹴った依頼を酒につられて受けたのは何処の誰だね」
「……俺です……」
「そして酒で失敗したのは?」
「……それも俺です……」
「まるでダメじゃん」
ぐずぐずとカウンターに突っ伏しているウミウシと、その隣で優雅に紅茶を飲んでいる初老のエレゼン族。二人の勝敗はあっという間、いや勝負というものすらなかった。すぐさま叩き伏せられ、「酒はナシ、正当な報酬で」という話がまとまり、結局彼は再びカウンターに打ち寄せられた瀕死の軟体動物になったのだった。
「最近の若い者は軟弱だねえ」
「たいていの最近の若いもんよりも力あるだろあんた」
だが今回の復帰は速かった。瀕死のウミウシはぬっと起きてくると、若干ボサボサになった頭を整えつつ、成り行きを見守っていた店長からあらためて避難させていた封筒を受け取る。
「言っとくが、俺がやるのはあたりをつける所までで、残りは詳しそうなヤツを教えるだけだ。正直自信ない」
「おう」
「外しても文句言うなよ」
「わかってるって」
しょっぱい顔の冒険者は、はぁー、と溜息を一つ落とす。
——その顔から表情が抜けたのは一瞬後だった。
それまで本当に面倒くさそうな顔だったのが、す、と色のない、真剣な表情にすり替わる。しばらく前まで乱暴に紳士の腕やら机やらを叩いていたはずの手は、まるで正反対の静けさで古の遺産に触れていた。それぞれの紙をつまみ、表面の感触を確かめているのか指先をほんの少しずつ擦り合わせ、じっと見つめている様はおそろしく静謐で、外から聞こえてくる海鳥の声も海賊達の怒鳴り声も、すべて根こそぎ遠ざけてしまっているようにすら思える。
自分も、店長も、そして特に口出しもせず黙っていた紳士すらも、その様子を注視していた。
「……ンー?」
呼吸すら止めているのではないかと思われた彼の喉が、不意にそんな音を発した。そして、持っていた紙幣をそれぞれ窓から差し込む陽の光にかざす。
「こっちだな。これが贋作」
やがて差し出したのは、右手に持っていた紙幣だった。
「えっすご」
「マジか」
「根拠は?」
「なんでそこですかさず詰めてくるんだよ他は褒めてんのに……」
先程の真剣さは欠片もない表情で紳士を見た彼に、新しいドマ茶を差し出してやる。そして、自分も店長もどうやって判断したのかについてはとても興味があると伝えたら、彼はしょっぱい顔のまま、偽物の方をぴらぴらと振って説明してくれた。
「触った感じ、含まれてるエーテルの配分が微妙に違う。紙は原料の産地によってエーテルの配分が変わってくるんだが、その配分でインクを介したエーテルの流れ方も変わる」
「ああ、魔導書でよく言っているやつかね」
「そう。で、念の為にちょっとだけ流してみたら、その一枚だけが違ってた。インクの具合もどっかで見たことあるから、錬金術ギルドに見せた方がいい。絵柄はお手上げだから、彫金ギルド行きだな」
「版画?」
「貨幣だったらいちいち手描きしないだろ、たぶん。それも込みで見てもらおう。まるで自信ないけど」
店の常連が突然高度なことを言い出している。
正直、自分も店長もそんな顔をしていた。だが、まるで夜空に放り出された猫のような顔になっていた店長だったが、彼から「店長」と声をかけられてスイッチが入った。
「お、おお?」
「なんか書くものあるか? 知り合いいるから手紙書いとく」
「私も立会人として一筆添えようか」
「いいの? 助かる」
彼は紙と筆記具を店長から受け取ると、何やらさらさらと書き始める。あっというまにできあがった手紙に今度は紳士がまた何やら書き込み、そして偽物の紙幣と合わせて封筒に入れ、本物の封筒とまとめて店長へと渡した。
「ほいおわり。お金下さい」
「言い方まるでダメじゃん」
「さっきからダメダメ言いすぎじゃないか?」
本当のことを言っただけだ。
だが依頼は依頼だし客は客である。空いたグラスを片付けていたら、店長はカウンターの下に再び潜り込んで、足元の金庫に仕舞った報酬を取り出しているのが見えた。
「助かったぜ。ありがとな」
「わーい。じいさん半分あげる」
「私は何もしていないよ」
「さっき書いてくれた分だって」
「そう言って機嫌を取ろうって魂胆かね?」
だがちゃっかり受け取ったようだ。しょっぱい顔がだいぶ改善した元ウミウシは、嬉しそうな顔をして報酬を財布にしまい、先程の態度とは裏腹に満点の笑みで隣の紳士に話しかける。
「あ、そうだじいさん、今日外泊していい?」
「やっぱりご機嫌取りじゃないかね。酒は?」
「飲まない。店長にアフターケアだけしてもらうわ」
「それなら良いよ」
とたんに店長がむせた。
「オレかよ」
「あんただよ。さっき自分で言っただろ」
何が気まずいのか、店長は串焼きほどもあろうかという指でぼりぼりと頭を掻いた。
「言ったけどよ……しょうがねえな、夜また来いや」
「やった」
どうやら今度は暴力沙汰も何もなく、うまく話がまとまったようだ。グラスを避難させずに済んだと胸をなで下ろしたのだが、ひとつ気になることが残っていることに気付いた。
「ところで、アフターケアって何の話すか?」
そのもっともな疑問は、しかしその場にいた全員の「お前にゃまだはやい」という一言で封殺されてしまったのだった。