おとなりさん:バッツ君のバイト先にクラウドちゃんが来た話 / バツクラ / 文庫ページメーカー
自分で言うのも何だが人当たりは良い方だ。
世界中をぶらつく金を稼ぐために手当たり次第にアルバイトというアルバイトをしてきたが、接客業においてはあまりクレームをもらったことがない(暴風雨のような客は除くが)。それに、どちらかというと好意的なお客さんに名前を覚えてもらったり、ちょっとしたお裾分けをもらったりすることが多い。だから、予期せぬ事態に遭遇してカウンター裏に慌てて避難する羽目になったことは、今まで無かった。
そう、今までは。
「――おい、大丈夫か? おーい」
「いやごめん、なんか、なんか心の準備が」
頭上からかけられる穏やかな声に、なぜか相反して暴れ回る心臓を抑えながら、バッツはなんとか返事をした。声からも解るように突然強盗に襲われたわけでも、いちゃもんをつけられたわけでもない。ただ本当に、心の準備ができていなかっただけだった。
「……っふぅー……」
「どうした? 具合でも悪いのか」
「ンッ、……おう、全然平気大丈夫」
立ち上がった途端、目線よりほんの少し下にある心底不思議そうな顔を間近から見てしまい、再度呼吸が詰まった。だがこれ以上無様な姿を見せるわけにもいかないので、えへえへと笑いながら平静を取り繕う。
(そのカッコ反則でしょ)
仕事に行くときの格好はちらちらと見てはいたが、真っ最中の姿を間近で見たことはなかったものだから完全に不意を突かれた。元から見目が良いのに、少し無骨だが全身をぴったりと覆う黒いライダースーツに、しかも胸元のファスナーをちょっといや結構大胆に開け、サングラスを引っかけているその様は、どうしようも無いくらいサマになっていた。それが今まさに片想いをしている相手ともなれば破壊力は抜群だ。客がいないからと気を抜いていたのもまずかった。正直なところ心臓が止まらなくて本当によかった。
「悪い、お待たせしましたっと。何飲む? クラウド」
「えっと、じゃあこれ」
革のグローブに包まれた彼の――クラウドの指先がメニューを指す。さらに告げられたオプションを聞いたバッツはふんふんと頷くと、湧き出てきた疑問をそのままぶつけた。
「ホイップとかキャラメルとかめっちゃ盛るけど大丈夫か? 中身ブラックにしなくてもいい?」
甘党御用達みたいなものになるけど、とその表情を伺うと、それまでそんな片鱗をまるで見せなかったクラウドは、ほんの少しだけ視線を伏せた。
「……苦いのが少し苦手で」
「ンッ」
「んっ?」
「ああいやなんでもない。持ち帰り?」
「持ち帰り」
三度目の衝撃をなんとかやり過ごし、かしこまりー、とレジを打つ。そんなことを言われたらギャップで転落死してしまう。
「そっかーブラック苦手だったかー」
いつものおしゃれなマネークリップからギル札を抜き取るその手を見、どぎまぎしながらも話を振ると、クラウドはなぜか少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「実はコーヒーがあまり」
「え、じゃあこういうとこも来ない?」
「ああ」
「そうかあー」
それは意外だったが、確かにクラウドの部屋の台所にはなかった。まあほかの物も無いのだが。
なるほどなーと金額を確かめて投入する。ちょっとだけ威勢のいい音をたててレジが開き、おつりを手際よく取り出していく。
だがそれは次の瞬間、手のひらから危うく滑り落ちそうになった。
「あんたが見えたからつい入った」
「……そうかあー……」
「え、おい、あんた大丈夫か? やっぱり具合悪いのか」
再度顔を覆う羽目になったバッツの耳に、クラウドの慌てた声がする。全然大丈夫、と言ったつもりだった声はなんとか形になっていたらしく、心配げな気配が少し離れた。
「はいこれお釣りね。あっちのランプの下でお待ちくださーい」
「……本当に大丈夫か? 顔赤い」
「だいじょうぶだいじょうぶ」
原因はわかってるから――などとは当然言えるはずもない。
怪訝そうなクラウドを尻目にバッツはエプロンの紐をちょっとだけ締め直すと、いつ見てもごつくていじりがいのありそうな機械に向き合うのだった。