[2018/11/14]モブクラ

セブンスヘブンお客様感謝デー 夜編 / モブクラ / 文庫ページメーカー

 あの、夜もやってるので、よかったらどうぞ。
 その一言に反射で「来ます」と返してしまったことに関しては全く後悔していない。いやむしろ、その返事をしたことで、ずっとうつむき気味におどおどと話していた彼女が、ぱっと顔を上げてほんの少し笑ってくれたものだから、言って正解だったと思う。いやそれ以前に、「ほら、行ってらっしゃい!」と女店主に背中を押されて、おそるおそる話しかけてきてくれたその姿を見た時点で、夜の予定は決まっていたようなものだった。
 そして夜、業務が終わって三十分後。彼らは再び店の前に立っていた。
「夜は酒場も兼ねてんだよ」
 その先輩の言葉通り、店から出てくる客の顔はみな上機嫌でほんのり紅い。時折笑い声も聞こえてくる。
「お前酒飲めたっけ」
「人並みです」
「ならよし」
 そんなことを話しながら、出てきた酔っぱらいを通し、入れ違いで中に入る。すると、昼と同じ優しい声が出迎えてくれた。
「あ、いらっしゃーい。また来てくれたのね」
「いやさあこいつがどうしてもって言うんで」
「ちょっと、おれそんなこと言ってないですよ」
 顔を覚えてくれていたらしい女店主に勝手なことを言う先輩を思わず咎める。昼と違ってシックな紺色のエプロンをつけた彼女はうふふと笑うと、「好きな席にどうぞ」と言ってくれた。
 言葉に甘えて奥の席へと向かう。昼間と同じ席だ。
「気づいてくれるかもしれねえもんな」
「うっさいです」
 先輩に考えていたことを見透かされて思わず噛みついてしまった。だが先輩はどこ吹く風、にやにやしながら席に座ると昼間とはまた違うメニューを手に取る。
 しかしそれにしても、と彼は店内を見渡した。あの白と黒のシックなメイド服がどこにも見あたらない。来てくださいと言ってくれたからにはきっと夜も働いていると思ったのだが、もしかするとシフトの都合でお休みなのだろうか。だがそのときはの時である、その子のシフトが来るまでまた来ればよいのだ。
 ただ期待していたのに会えないのは少し悲しい。
 ちょっとがっかりしながら、先輩から渡されてきた夜用のメニューに目を落としたら、店内の柔らかい光がふっと遮られた。
「ご注文は?」
 低い、しかし甘さを含んだ声にもしやと顔を上げる。
 だが、そこにいたのは天使のようなメイド——ではなかった。ただ目の覚めるような美人がいたのは昼間と変わらなかった。
 チョコボの頭を思わせる奔放に跳ねた金髪に、少し垂れ気味の、空とオーロラの綺麗な部分を混ぜて閉じこめたかのような形の良い瞳、そして控えめだがふっくりと柔らかそうな唇。どこをとっても美人としか形容のしようがないウェイターは、確か少し前に見たことがある気がする。いや、間違いなくある。
「え、あれ、もしかして」
「……」
「一昨日うちに来てた配達屋さん……?」
 ——この瞬間、隣で何故かニヤニヤと様子をうかがっていた先輩に「何でだよ」と結構な勢いで怒られた。
「何でだよって言われても、えっ、だって配達屋さんですよね?」
「……ああ、いろいろあって省くが、ティファが——あそこにいる店長が身内で、一緒に住んでる。忙しい日はたまに手伝ってる」
 一昨日と全く同じ、穏やかで落ち着いた声で、ただどこか複雑そうな笑顔を浮かべながら、配達屋はそう答えてくれた。配達しに来てくれた時とは違い、細身でパリッとしたスラックスに白いシャツ、そしてベストにエプロンを腰に巻いた姿は、あれだけ騒いでいた職場の女性陣が見たら卒倒するに違いない。
「運んでほしいものがあったらこの店に連絡してくれても大丈夫だ。ついでにパーティーの予約もしてくれると嬉しい。……で、何か飲むか?」
「あっ、そうだった、えと」
 ぶっきらぼうには違いないのだが、それでも誠実さを感じる彼に注文を伝える。昼間の彼女と同じデザインの白手袋がさらさらと伝票に書き留めていく様子をぼーっと見ていたら、先輩が「おい」と肘でつついてきた。
「えっなんすか」
「あの子のこと聞かなくていいのかよ」
 その一言に心臓が跳ねる。そうたった、たまに手伝ったりしているのであればもしかすると知っているのかもしれない。ただ、いやかなり恥ずかしい。
「でもあのさすがに」
「んだよシャキッとしろ、一目惚れなんだろうが」
「声大きいですってやめてくださいよ」
 好き勝手言う先輩とぎゃあぎゃあやり合っていたら、カウンターに注文を伝えに行っていた配達屋の青年が、トレイを持って戻ってきた。上には注文したお酒のグラスと、なにやらおしゃれなチーズの盛り合わせが載っている。
「あれ、これ頼んでないですけど……」
「うん、これは俺から」
「え」
 そんなおまけをされるようなことはした覚えがないのだが。
 首を傾げると、青年は何故かはにかむように顔を伏せた。
「その……昼間はすまなかった。だますようなつもりはなかったんだ」
「へ? 昼間? 騙す? なにを?」
「えっもうネタばらしすんの?」
「さすがに申し訳なくて……本当のことを言っておいた方が」
「ちょ、ちょっと、何二人で完結してるんですか? なにごと?」
 こちらは完全に置いてきぼりである。騙すだの騙さないだのとんと自覚がないことを言われても、と口にしたところで、不意に強烈な既視感が彼を襲った。
 綺麗な金髪に透き通るような白い肌。そして複雑なカットが施されたかのような不思議な色の瞳は、目を離そうと思っても離せない。その色はまるで、
「……え、昼間の?」
「……」
 配達屋の青年は、はにかみを滲ませた表情でわずかにうつむいた。その角度、表情、全てが昼間の彼女にぴったり重なる。
「まじで……?」
「まじだ。ごめん。毎回あの格好させられてるし、常連さんと来ていたから知っているもんだと思って言わなかったんだ」
 だからこれはせめてものお詫び、と彼女と同じ手袋に包まれた手が——というより、彼女と同じ手が皿を置いた。
「あんたが望むような女の子じゃなくてごめん。お酒とご飯は美味しいから、せめてお腹一杯になってほしい」
「いえ、その——ぜんぜん、だいじょうぶです」
「そうか」
 青年は最後に一瞬だけ淡い微笑みを浮かべると、他のテーブルに呼ばれていってしまう。彼の目の前には、青年が置いていったおいしそうなチーズとお酒があるが、シックな店の照明に照らし出される色とりどりの上質なチーズも、彼の心には何ら響かなかった。
「おい、……おい、大丈夫か?」
 そのチーズを何の遠慮もなく横から掠めていった先輩は、おそるおそると言った様子で彼の顔を覗き込んで来たが、彼の視界にはそれすらも入っていない。
「先輩、」
「おっ、ようやくしゃべったな。何だ? 金の相談以外なら乗るぞ」
「……次の感謝デーっていつですか?」
 先輩のとぼけたセリフにも構わずに、彼の視線は昼間と同様忙しく、ただ少しだけ伸び伸びとした様子で動き回る青年にじっと向けられていたのだった。

三度の飯が好き

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