[2018/06/21]ヴィンクラ

ヴィンセントさんのマント / 文庫ページメーカー

 立ち上がろうとしたら後ろに引っ張られた。
 予期していなかった力の向きに尻餅をついたヴィンセントが思わず後ろを振り向くと、そこには見慣れた藍色のニットと金色のふわふわがあった。確かそういえば、少し前にのそのそと後ろにやってきていた気がする。だがまさか、こういったいたずらを仕掛けてきていたとは予想だにしなかった。
 はあと溜息を吐くとその脇腹を肘で押す。
「おい」
 しかし、残念ながら反応はなかった。それどころか、二回、三回とつついても微動だにしない。
(無視か?)
 機嫌を損ねるようなことをした覚えは全くなかったため、ヴィンセントは大いに戸惑った。何がとは言わないが昨晩はあくまで普通の範疇だったし、今日の買い物についてもごくごく平和に終わった。それに元より喧嘩も少ない方だ。
 だがあまりに反応がなさすぎる。嫌がらせか何かなのだろうか。確かに今まで放っておいてしまったのは申し訳なかったが、と再度肘でつつこうとしたとき、ヴィンセントの耳が、すー、という穏やかな音を拾った。
「……まさかお前」
 寝ているのか。人のマントに座ったまま。
 ゆっくり身体を動かしてその顔をのぞいてみれば、腕からわずかに見える顔はまさしく穏やかな寝顔そのものだった。
 なぜここで寝る。というよりもなぜマントの上に座った。普通は服を避けて座るものではないのか。寄っかかってこなかったのは感心するし、横着してマントを羽織ったまま作業を始めてしまったヴィンセントもヴィンセントだが、それにしても前提となる行動が理解の範疇を超えている。
 しかしどうしたものか。これではどうも身動きがとれない。部屋の中だからとれなくても別によいのだが、洗面台にすら立てないのは不便である。かといって、これほどまでに気持ちよさそうに寝ているのを起こしてしまうのも忍びない。ふむと思案してしばらくして、名案がぽんとひらめいた。
(……脱げば良いのか)
 そう、別になんとか引き抜かなくても良いのだ。たまに生える羽や尻尾ではなくこれは単なる服である。
 ヴィンセントはできる限り静かに留め金を外し、極力動かさないように羽織っていたものを脱ぎ——ふと思いついて、そのまま彫像のように足を抱えて寝ている身体にかけてやった。距離を置いて見てみれば、ベッドの真ん中で他人のマントを羽織り膝を抱えて寝ているという不可思議な光景ができあがったが、無理に起こして機嫌を悪くしてしまうこともなく脱出できたので上々の成果と言えるだろう。
 これで良しとヴィンセントは満足げに頷き、部屋に備え付けられた洗面台へ向かう。

 ——その一分後。
 先程までの不可思議な光景は、完全に横になったクラウドがマントを抱き込み寝ている微笑ましい光景に変化しており、予想以上に動揺することになったのだが、それはまた別の話である。

三度の飯が好き

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