レノクラ / モブクラ / pixiv
ぽん、と間の抜けた音が胸元で鳴った。何だ何だと最近買い換えたばかりの端末を取り出したら、画面に表示されているのは、近頃よく部屋を使うようになった男の名前が表示されている。
あっちからメッセージを送ってくるのは珍しいから、また何だ何だと見てみたら、画面に表示されていたのはたったの一言だった。
『ゴム無くなった』
あの野郎、とレノはその顔を思い出しながら溜息を吐く。またやりがってと頭を掻きながら、苛立ちに任せて画面をロックした。
わざわざメッセージを送って構ってやることはない、今週に入ってもう二回目だ。通算で言ったら何回かもわからない。何度言っても聞かない奴は聞かない。
「どうした」
隣で帰り支度をしているルードに聞かれ、レノはこみ上げてくる感情も隠さずに答えた。
「先帰るわ」
「……クラウドか」
「おう」
短いやりとりだけで全てを察してくれたらしいルードは、「よろしく伝えてくれ」とだけ言った。
仕事は既に定時後だ。帰ってしまっても誰も何も言わないし、今日するべき事は全て終わっている。レノはまだ小さいオフィスをさっさと出ると、愛車のデイトナに跨がった。
オフィスの周りは既に日が落ちていた。遠くに見えるエッジに向けて、スロットルを開ける。夏のねっとりとまとわりつくような熱気は、頬を掠めていってもさほど身体を冷やしてはくれない。さっきのメッセージも相まって、レノの機嫌はまれにみるほど最悪だった。
エッジの街中にはすぐに着いた。電力供給が安定してきたのか、夜でも明るい店が増えてきている。苛立ちながらも一応信号は守りつつ、見知った道路を突っ切っていく。
騒がしすぎず、そして静かすぎもしないところに、レノのアパートはあった。自分のスペースにデイトナを停めると乱暴にスタンドを下ろし、ガンガンと荒く階段を駆け上る。よどみなく扉の鍵を開け開け放ち後ろ手に鍵を閉めて、ずかずかと廊下を歩いて荷物をソファーに放ると、寝室の扉をバタンと乱暴に開けた。
「——人のモン勝手に使うなっつったろうが!!」
腹の底から出した大声を聞いて、ベッドの上に寝そべっていたレノの苛立ちの元凶は、けだるげに顔を上げた。
「……ん、おかえり」
「ただいま……じゃねえよ! 何回言ったらわかんだよオマエはよ!!」
ダストボックスに放り投げられていた空箱を指さすと、元凶——クラウドは、ああ、と欠伸を噛み殺しながら答えた。
「あいつら、持ってこなかったから。俺も手持ちがなかったし」
「あいつらって、お前、何人相手にヤったんだ」
「今日は……三人? 本当は二人だったんだけど」
んん、と腰をいたわりながら伸びをするクラウドは何も着ていなかった。するりと纏っていた布団が腰まで落ち、露わになるのはその白い肢体——なのだが、今は体中に歯形や鬱血痕が散っている。歯形の数や種類からして、明らかに複数の男に弄ばれたと解る身体だった。
「友達連れてきたらしくて。それでゴム無くなった」
「ったく……」
脱ぎ散らかされた服を拾い上げて片隅に集めると、代わりに寝間着のシャツを投げつけてやった。
「着とけ。目の毒だぞと」
「着せてくれないのか」
「他人のゴムとベッド使ってる奴にそこまでする筋合いはねえよ」
ふん、とクラウドは鼻を鳴らす。だが寝間着を投げ返そうとはせず、大人しくシャツに袖を通し始めた。
***
クラウドのタガが外れ始めたのは、今から大体二ヶ月ほど前のことだ。
切っ掛けになったのはある客だった。いつもの通り配達に行った客が、どうやらクラウドに曲がった方向で懸想していたらしい。荷物を渡したその一瞬の隙を突かれて薬を打たれ、気がついたときには複数の男に抵抗できないまま、いいようにされていたという。
クラウドは優しい。同時に甘い。レノだったら叩き殺しているような相手も、そのまま生かして、許してしまう。その相手が一般人なら——そして家族がいたら尚更だ。
そして、その日からクラウドはおかしくなった。気がついたら知らない男をひっかけている。見知らぬ人間であってもいい、むしろ知らない人間の方がいい。我慢しようとしても我慢できない。なまじ身体が頑丈だから相手が複数でも大歓迎、妊娠もしないからゴムが無くても破れてもいい——。
レノが抱いていたクラウドのイメージはそういったものとはかけ離れていたから、その話を本人から聞いたときは正直結びつかずに若干焦った。だが、レノが話を聞いたとき、まさにクラウドは酒場で男に連れて行かれようとしていたところだったから、信じざるをえなかった。
「楽しくなってたんだ」
「楽しく?」
「抱かれているうちに、楽しくなってた。……最初の時、楽しいんだ、って思い続けてたからかな」
その時のクラウドは、うっすらと笑ってさえいたことを、今でも覚えている。
「今日は抱かないのか」
「抱かねえよ。ゴムもねえし、病院も行ってねえだろ最近。オレは知ってんだぞと」
風呂上がりの額をぱちんと指ではじくと、短い悲鳴が上がった。あう、と額を抑えるクラウドを見下ろし喉で笑うと、煙草に火を点ける。
「オレと寝たいんならゴム買ってこい」
「……めんどくさい男」
「綺麗好きなんだぞと」
ふう、と紫煙を吐き出すと、傍らの灰皿にとんとんと灰を落とす。
「さっさとゴム買って返せよ」
「使う相手いるのか」
「使っても使っても足りねえ底なし沼がな。だからないと困るんだぞ、と」
すぐそばに転がる金髪をわしわしと乱暴に撫でる。途端に抗議の声が上がったが軽く無視して、鳥頭が鳥の巣頭に近くなるまでかき回してやったら、先ほどまで感じていた苛立ちは、ほんのわずかに軽くなった気がした。
「何でそういう甲斐性なしとヤるかねオマエは」
「……さあね。好みなんじゃないのか、俺の」
「じゃあオレは好みじゃないってことだな」
「あんたも甲斐性なしだろ?」
「うるせえビッチ」
もう一発デコピンを食らわせようと指を持ち上げる。
だが、その前にレノの手は白い指に絡め取られた。滑らかによどみなくその手が導く先はうすく開かれた唇の中だ。蠱惑的な舌がちろちろと、レノの筋張った指をまるで蛇のように舐めていく。
「オマエな、今日は——」
レノの言葉は最後まで続かなかった。ぐっと手を引かれてバランスを崩し、クラウドの上に覆い被さってしまう。
レノの緑色の目を真正面から捕らえた魔晄の瞳が、ふわりと笑った。いつの間にか、彼のもう片方の手には使い切ったはずのゴムが、カードか何かのように挟まれている。
それ、と言う前に、低く甘い声がその蛇の口から漏れた。
「いっこだけ、あんたのために取っといたって言ったら、どうする?」
「……この底なし沼め。今日だけ特別だぞと」
片手の煙草を灰皿に放り投げ、レノはそのさらけ出された喉に噛みついた。