ハッサクさんと盛り上がった冥界の犬のクラウドちゃん / ハデクラ / 文庫ページメーカー
契約の内容なんてあまり気にかけていなかった。
自分が追いかけているものの情報が得られる、それも二つもとなれば、正直なところ契約の中身なんて頭の中に入っていなかった。もしかしたらもう少し良い条件になるかななんて思って渋っては見たものの所詮はパフォーマンスだ。何をするかだけは理解していたから、それで良いと思っていた。
「……」
「……なななななんだよ急かすなよ」
「……」
「おいはははははやくしろって見てる見てる」
「うるせえな見てるだけだろ、ほっとけって」
ちょこまかと動き回る細身の悪魔となにやら作っているころころとした悪魔を見たあと、クラウドはさも退屈そうなあくびを一つした。そして、自分用に誂えられたらしい寝床でもぞもぞと丸くなる。
匂いからしてきっと食事だろう。最初に一発暴れていたのが功を奏したらしく、「餌」の時間は大分ましになった。おそらくは彼らの主、今のクラウドの雇い主に言われたのが大きいだろうが。
「はーいわんちゃんご飯ですよー」
普段の自分ならまず噛み千切っているような言葉を投げかけられても、クラウドはおとなしくしていた。細い方が口輪を外し、太い方が粥やら煮込んだ肉やらが入った皿を目の前に置くのをじっと見、遅いという不服の意を羽根で一瞬だけ示してから(途端に細い方が「ひい!」と叫んで退いた)、用意されたそれに口を付ける。
スプーンやフォークなんて便利な物はないし、彼が両手で皿を掴むこともない。ただ犬のように直接器に口を付け、がつがつと食べるだけだ。
そう、彼は犬だった。冥府の主との契約により、限られた期間だけではあるが、冥府の狗としてそこにいた。
最初は抽象的なものかと思ったが、雇用主は結構細部までこだわるタイプだったらしい。クラウドには首輪や口輪をつけ、人の言葉を喋ることを強制的に禁じた。寝床は犬用のそれだし、食事は手を使うことを許可されなかった。服は「体毛だろう」というよくわからない基準により着せてもらえたがそれだけだ。今の彼は犬だった。
「——お? いいねえいいねえ、たくさん食べて大きくなりな」
ひょっこり顔を出した雇用主にそんなことを言われながら撫でるのもだんだん慣れてきた。太い腕の割におよそ肉という概念がない、長くて細い指にわしわしと頭を撫でられるのももう構わなくなった。ただ今は食事中だ。その抗議の代わりに、さっきと同じ様に羽根をぱしんと床に打ちつければ、「ああごめんごめん」とまるで悪びれていないことを言いながら、恐ろしく冷たい手が離れていく。
だが、残飯のような見た目の割には味は悪くないそれを平らげたとたん、離れていた手が戻ってきた。まるで犬にするかのように——まあ扱いとしては犬なのだが——脇の下に差し込まれて抱え上げられると、すとんと主の椅子の前に座らせる。そして足の間に挟んだかと思うと、「きれいにしときましょうねえ」なんてふざけたことを言いながら、どこからともなく取り出してきたビロードのような布でごしごしと口周りを拭かれて、またわしわしと撫でられる。この顔、そしてこの体勢からして、たぶんこのあとは何もせず、何もさせないのだろうと察したクラウドは、ぼすんとその膝に自分の顎を乗せた。
ひんやりとした手が、また頭を撫でてくる。
もう少し契約書読んでおけばよかったな——なんて後悔は頭の隅に押しやって、クラウドは夜のにおいに包まれながら、うとうとと目を閉じた。