[2018/08/06]ジョークラ

レースに勝ったジョーさん / ジョークラ / 文庫ページメーカー

 扉に押しつけたその瞬間、驚きに見開かれた瞳と目があった。不思議な色を湛えるその瞳は、ホテルの部屋のほのかな光を虹彩の中で乱反射し、ジョーの心へと染み渡っていく。
「え、ぁ、ジョー……?」
 狼狽え、掠れた声が耳をくすぐる。どうやら、ここにいたってまだ何をされるのかわかっていないらしい。結構強い酒を飲んでいたから、それもしようがないかと思いながらも、ジョーはほんのり色づいた唇を塞ぐ。扉に縫い止めた身体が僅かに強ばったがお構いなしだ。
「っん、ジョー、なに、何で」
 動揺の色が目に浮かんだが、ジョーは構わなかった。チャンスは全てモノにしてきた。今がそのチャンスだ。バーで二時間ほど話しただけではあるが、目の前で狼狽える彼がまだまだ人間の表層しか見たことがないこと、顔見知りには本気で抵抗できない優しい性格だろうことは十分にわかった。そして、自分はすでに彼の「顔見知り」の枠の中に踏み込んでいる。
 案の定、クラウドは「抵抗」という二文字をすっかり忘れ去ってしまっているようだった。ただジョーの意図がわからず、扉に身体を押しつけられるがまま、その不思議な色の瞳に困惑と怯えを浮かべている。
 ジョーはにやりと口角をつり上げた。
 そして、今日のレースの前に交わされた約束を口にする。
「一晩付き合ってくれるんだろう、クラウド君」
 ジョー、という言葉に続くはずだった反論は、互いの口の中で溶けて消えた。

***

 何をされているのかも、何をしているのかも、そのときのクラウドにはわからなかった。普段あまり飲まない酒が入っていたからかもしれないし、身体全体が自分のものではないような、そんな感覚に始終襲われていたからかもしれない。
 いつベッドに移っていたのかも定かではない。ただ、部屋の入り口でもベッドの上でも、絶えず他人の手が——ジョーの手が身体中をまさぐっていたこと、そして訳も分からずただ怖いと言っていたことだけは覚えている。
 ——夢だ。きっと、慣れない酒を飲んでしまったから、変な夢を見てしまったのだ。
 かろうじて朝とわかる光が瞼の奥に差し込んできた瞬間、クラウドはそう自分に言い聞かせた。昨日の夜は久しぶりのレースでジョーに会って、そしてバーで一緒に飲んで、ちょっと酔っぱらってしまったから部屋まで送ってもらっただけなのだ。
 だが、その淡い期待は、クラウドの胸に回された男の手により簡単に打ち砕かれた。
 硬く鍛えているというわけではないが、しっかりと引き締まった腕。浅黒い肌に這う、細い蛇のようなタトゥー。仲間の誰でもない、だが、見知っている腕だ。昨夜、散々クラウドの身体を暴いていった腕だ。
「っ」
「目が覚めた?」
 身体を強ばらせたその瞬間、かかっていた腕にきゅっと力が込められ、背後の熱へ引き寄せられる。耳に吐息がかかるほどの近さで囁かれるのは、少し掠れたジョーの声だ。
「おはよう。よく眠れた?」
 ちゅ、という軽い音とともに押しつけられた柔らかい感触。
 咄嗟に、クラウドはその体を押しのけていた。
「おっと。くすぐったかったか?」
 おどける声を後ろに聞きながら、クラウドは震える手でシーツを探り、掴み、できるだけその熱から体を離そうとした。途中で体の節々が痛んだが、そんなことはかまっていられない。壁に身を寄せてようやく、背後に寄り添っていた熱を睨みつけると、体を起こしていた男——ジョーは、乱れた髪を掻き上げながら、にっと野性的な笑顔を浮かべた。
「おはよう、クラウド」

三度の飯が好き

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