盾と配達屋

グラクラ / pixiv

 クレイラスと言うらしかった。
 突然聞いたことがある声が聞こえて足を止めたのがそもそもの始まりだった。柄にもなく耳を澄ましてその声の方向を見てみたら、明らかに偉い人とわかるような姿の男が、黒い制服に身を包んだ男達に何やら指示を飛ばしているのが見えた。彼の鼓膜を震わせたのはその声だった。
 もう忘れてしまったはずの、だが忘れたくないと思っていた声だ。今まで何も考えないようにしていた思い出や感情が、頭の中を覆っていくのがわかって、その日は慌ててそこを——城を離れたのを覚えている。
 思い出は重たい。いろいろな感情がぶら下がってくる。そして、ただでさえ狭い心の中をぎゅうぎゅうにして、内側から壊そうとする。
 とても人一人では処理しきれないから、しばらくハンター業でもして頭を冷やそうと、そう思った矢先に城からの依頼が来た。
 文書の名義はいつもの職員ではなく、クレイラス・アミシティアだった。

***

 クレイラスの息子と聞いてはいたが、まさかここまでごつい人間だとは思わなかった。クレイラスも大柄ではあったがここまでではない。どれだけ鍛えたらこうなるんだと言いながらその胸筋に触れたら、「すげえだろ」と自慢げに笑われた。
「長年の鍛錬の賜物ってやつだ」
「長年……」
 一応自分(の見た目)の年齢はグラディオラスと同じくらいなのだがと眉を寄せたら、「そういう体質なんだろ」と笑われる。
「俺はこっちの方がいいと思うけどな」
「何で」
「既製品が入るだろ。俺は腕の筋肉がつっかえてたまに入らねえ」
「……それは贅沢な悩みだな」
「あと、こうするのにちょうどいい」
 鳥の翼で彩られたたくましい両腕がクラウドの背中に回り、く、と引き寄せられる。程よい力で抱きすくめられて、思わず安堵に近い息が漏れた。
「あんまりゴツかったらこうできないからな」
「……このスケコマシ」
「褒めてんのかそれ」
「褒めてる」
 背中を撫でる手の心地よさに、うとうとと瞼が降りてくる。ありあまる若さと体力を感じさせるセックスをする割には、こういうところに手慣れているのがなかなかにくい。
 この王の盾と寝始めたのは、偶然に偶然を重ねてしまった結果だった。別に恋愛感情はない。単純にすっきりしたい時に荷物の配達が重なり、かつ街にほど近いところにいたら、お互いそれまでの欲を解消するために寝るという、限りなくドライなつながりだった。
 もちろん、このたくましい青年——グラディオラスの仲間たちには秘した関係である。といっても、色々と察しの良い軍師殿には既に気付かれてしまっており、毎度「程々にしろよ」という視線をいただいてしまうのだが。
「あんたこういうの弱いよな、なんか意外」
 背中を擦られ、船を漕ぎ始めたら、不意にそんな声が聞こえた。重力に負けつつある瞼を引きずり上げ、見下ろす青年の瞳を見返す。
「……意外」
「意外。どっちかっつうと嫌がる方かと思ってたわ」
「……嫌じゃない」
「じゃあもっとしてやろうか」
 それまでゆるく抱き寄せられるだけだった体が少しキツめに引き寄せられる。すっかり抱きすくめられ、またゆるゆると背中を撫でられれば、一瞬だけクリアになった頭がまたぼんやりと、心地の良い靄に覆われる。
「……」
「お、眠そう」
「……眠たくさせてるやつがなにいってるんだ」
「ははは」
 悪い悪いと大きな手で頭を撫でられた。
 乱暴だがどこか温かみのある手に、クラウドの記憶がまた過去へと遡る。
 こういう撫で方をしてくる人間が、確か昔いた気がする。ずっとずっと長い間生きて来て、頭のキャパシティを超えた記憶はどんどん摩耗していっているが、それでも体に染み付いた記憶はなかなか消えないらしい。
(……だれだっけ。だれでもいいか……)
 どうせもう会えないんだし、と自己完結したが、ほんの少しの寂しさが、心の中に残った。

***

 宿屋での朝は、キャンプに比べると比較的遅い。イグニスが朝食のため起き出さないということもあるが、皆日々の疲れが体に溜まっているのだろう。特にノクティスとプロンプトは、充電を気にせずゲームができるせいもあってか、車の中ですらウトウトし始める始末だ。
 だがグラディオラスは、たとえ宿屋であってもいつものリズムを崩さない。そしてそれは、たとえ誰かと体を重ねた日でも同じだった。夜が明ける前には起き出して、そのホテルの周りを軽く走り込み、一通りのトレーニングをしてから自室に戻る。自室、と言っても今回はセックスをした相手の部屋であるが。
 規則正しく上下するベッドの上の膨らみを見、まだいることを確認してから、汗を落とすためにシャワーブースに入る。すっきりしてから外へ出ると、静かなだった部屋にはひとつだけ、慣れない音が加わっていた。
 ぶいぶい、ぶいぶい、と小刻みな振動音はおそらく携帯のバイブだろう。だがグラディオラスのそれではない。となると未だ健やかに寝ているクラウドのそれかと、ベッドから離れた位置にある机を見やれば、案の定黒い携帯が充電コードにつながれたまま震えていた。
 グラディオラスは寝床の住人を見遣る。まだ時間が早いからか起きる気配はなく、規則正しい寝息を繰り返している様子からして、おそらく起こしたらものすごく機嫌が悪くなるだろう。それにまだ今は夜が明けた頃合いだ。こんな時間から書けてくるとなれば、おそらくは、彼の個人的な知り合いだろう。
 そう判断したグラディオラスは携帯を取った。表示されている名前は「ねぐら」としか書かれていない。なんつー登録名だと思いながらも、画面のロックに指を滑らせる。
「もしもし、配達屋の携帯だけど」
『——グラディオラスか?』
 そして一瞬呼吸が止まった。人間予期せぬことがあると二の句が継げなくなるというのはよく言ったものだ。電話口からまず聞こえてきたのは、携帯の持ち主の名前でも電話に出た人間を誰何する声でもなく、グラディオラスの名前であったこと、そしてその電話の主が、明らかにグラディオラスの知っている人間の声だったからだ。
 彼は思わず、その人間の名前を口に出した。
「えっ、おい、コル将軍……!?」
『ああ、そうだが。……おまえが出たと言うことは、それの持ち主はまだ寝ているのか』
「お、おう、寝てる」
『じゃあ、起きたら伝えてくれ。諸々持って帰ってもらえないと困る、と』
 ではな、の一言を最後に電話は切れた。ノクティスやプロンプトに比べれば、何の味けもない待ち受け画面に戻った携帯を置き、グラディオラスは呆然と、未だ穏やかに眠るセックスフレンドの顔を見る。
 頭の中によぎるのは、コルが言い残した先程の言葉と、おそらくはその裏にあるだろう意味だ。考えれば考えるほど、みるみるうちに血の気が引くのが自分でもよくわかる。
「おい、これって、もしかして」
 ——もしかしなくとも、上司の恋人に手を出した?
 その可能性に思い至ったグラディオラスは、ただ青い顔でへなへなとベッドに腰掛けることしかできなかった。

三度の飯が好き

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